Suicide Syndrome


 「トラン」
 エイプリルが単独行動から帰ってくれば、宿の前にはトランひとり。買出しに行ったはずのノエルとクリスの姿は周囲に見当たらず、まだ戻ってきていないのだと容易に知れる。トランに歩み寄りつつ声をかければ、気付いたのかつばの広い帽子の下、紫の瞳がにこりと笑う。
 「エイプリル。お帰りなさい。別行動はもういいんですか?」
 「あぁ、終わった。……ところでトラン、少し時間はあるか」
 問いかけるトランにエイプリルは簡潔に答えてひらりと手を振った。ふと思い出したように逆にエイプリルが問い返せば、不思議そうにやや目じりの下がった目を瞬いた後、いつも通りにトランは笑って頷く。
 「時間なら山ほど。クリスとノエルもまだ戻らないようですしね」
 答えつつ周囲を見渡すトランのマントがさらりと衣擦れの音を立てる。目深に被っていた帽子のつばを少しだけ上げて言うトランにエイプリルはわかったというように頷き、そうして宿の扉を開きつつ肩越しにトランを振り返った。長い袖に隠れた白い指先がトランを手招く。
 「それなら付き合え。話がしたい」

【ココロのユクエ】

 「それで、どうしたんですか? 珍しい」
 宿の一階は酒場のようになっていることが多い。その酒場の隅の席に腰掛け、テーブルを挟んで向かい合う。目の前に置かれた茶のグラスをまるで酒を飲むかのように持ちつつエイプリルは不思議そうに問いかけてくるトランを見やった。何から話そうかと一瞬悩み、口元に指を触れさせるも回りくどいことは好きではないと小さく息を吐く。
 「……そうだな、お前、クリスをどう思ってる?」
 エイプリルの問いかけにトランの目が大きく見開かれる。普段のトランとクリスは仲が良いような悪いような、非常に曖昧な関係にエイプリルには見えていた。そもそも最初から悪の組織と神殿の聖騎士、仲が良いはずがない――それがエイプリルにとって最初の印象であって。
 それでもいつからか妙な関係の動きをエイプリルは察していた。それはパズルで言うならほんの少しだけ、ピースが動いただけのことかもしれないのだが。
 「何故それをわたしに聞くんです? わたしとクリスは別に……」
 「誤魔化すな。撃たれたいのか?」
 トランの言葉を遮って、エイプリルが言い放つ。グラスを持たず、テーブルに隠れるように降ろした手でスカートのホルダーから魔導銃を抜き、軽く握る。おそらくそうして魔導銃を握っていることに気付いたのだろうトランはお手上げ、という言葉通りに両手を軽くあげて見せた。
 「わたしに貴女の銃がかわせるわけじゃないですか。そもそも回避値と命中値が違いすぎますよ」
 「メタなネタでごまかすな」
 おどけたようなトランの言葉にからかうなときっぱりエイプリルは言い返し、真っ直ぐにトランを見つめる。その視線に射られたようにトランは笑みを一瞬困ったようなものにしてから小さく息を吐いて肩を落とした。
 「……やれやれ、全部お見通しなんですか? エイプリル。撃たれるのは遠慮します」
 それでもいつもの笑顔を崩さないトランをエイプリルは茶に口をつけつつ見つめ、逆の手に握ったままの魔導銃をスカートのホルダーにしまう。やれやれ、と言うようにわざとらしく肩を竦めて見せると肩に落ちかかる金の髪をさらりとはらった。
 「ノエルやクリスならまだしも、俺が気付かないはずがないだろう」
 あの二人は鈍いからな、とさらりと続けるエイプリルにトランの笑顔がやや苦いものになる。人生経験の有無か、それともただそういう恋愛沙汰に鈍いだけか。あの二人にエイプリルが気付いたようなほんの少しの違いが見えるとは思えない、とエイプリルは暗に告げる。
 「ごもっとも。クリスには言わないでくださいよ?」
 「言う必要はないだろう」
 諦めたのかトランが仕方ないというような表情で笑いつつ人差し指を唇の前に立て、エイプリルはそれにちらりと横目で視線を投げつつ答える。ことり、とグラスを置いて背もたれに身体を預ければ、エイプリルの背中で木の椅子がぎし、と軋んで鈍い音を立てた。
 「まぁ、それもそうですが。……それで、それを聞いてどうするんです?」
 グラスを両手で包み込むようにしているトランがエイプリルに問いかける。いつもの笑みではあるものの、どこか戸惑ったような様子が見受けられるトランにエイプリルは手をテーブルの上に置き、とん、と人差し指でテーブルを叩いた。トランの視線がそちらに向いたのを確認してその手を上げれば、トランを真っ直ぐに細い指が差す。
 「お前がどうするかを聞きたかっただけだ」
 「わたし、が?」
 指を指され、トランは逆に自分の胸に手を当て、エイプリルから目線をそらさないまま自問するように言葉を紡いだ。トランの首が軽く傾げられ、ぱちぱちと目が瞬く。
 「お前は俺に言うなと言った。それなら、お前はどうする? いつかそれを言うのか」
 指先をテーブルに下ろしたエイプリルから見ている状況では、トランとクリスの関係は悪くないように思える。これから先旅を続けるのに仲が悪いよりは仲が良いに越したことはない。ただ、エイプリルから見てもそれは友情の域を超えているかどうか非常に曖昧な点でもある。
 だからこそ、エイプリルはトランに問う。今の仲間と言う関係から、一歩踏み出す気はあるのかと。
 「……正直、言う必要はないと思ってますよ」
 ぽつり、とトランが言葉を落とした。エイプリルから視線を外し、少しだけその目が手元をさまようように下げられる。そうして、ゆっくりと顔を上げた。エイプリルの青の瞳とトランの紫の瞳が視線を絡ませる。
 「今の関係が居心地いいですし、それに……目的が果たされれば終わる関係です」
 トランが笑う。いつもの笑みではなく、どこか、複雑な感情がこめられた表情で。両手でグラスを包み込んだトランが視線と共に顔を下げれば、帽子の広いつばがトランの顔を隠した。エイプリルからでは口元しか見えず、その表情はどこか自嘲しているかのようにも見えるのはエイプリルの気のせいだろうか。
 「終わると思ってるのか?」
 「思っていますよ。わたしは大首領の為にここにいる。目的が果たされれば、それも終わりになるでしょう。
 そもそも最初からそういう話だったのですから。……これは、わたし自身の墓の下まで持って行きます」
 エイプリルの問いかけにゆったりと顔を上げたトランは己の胸に手を当て、エイプリルを見据えてしっかりと言い切った。やれやれ、とエイプリルは心の中で嘆息する。そうして、思うままに言葉を吐き出した。
 「不器用な奴だな」
 「わたしはそれでいいんですよ、エイプリル。
 ……そういうのは、望まないようにしているんです」
 自嘲気味な口調と、また下ろされた顔。エイプリルは一気に煽って空になったグラスをとん、とテーブルに置くとそれにつられるかのようにトランが顔を上げた。エイプリルはかたん、と椅子を鳴らして立ち上がり、大股で座ったままのトランに近づく。
 「いつまでも隠し通せると思うな。……お前が思うほど、あいつは馬鹿じゃねぇぞ」
 「……わかっています」
 すれ違いざまに交わす会話にエイプリルは視線をトランに落とす。エイプリルを見ないまま返されたトランの返答にやれやれともう一度肩を竦めてゆったりと歩き出した。


 「あ、エイプリルさーん!」
 トランを置いてエイプリルが酒場から外に出てくれば、ちょうどクリスとノエルが帰ってきたところだった。買出しの荷物をクリスが持っていて、ノエルがまったく持っていないところを見るとわざわざ自分から持つとでも言い出したのだろう。手を振りながら駆け寄ってくるノエルに手を上げて答えつつエイプリルは立ち止まる。
 「あれ、トランさんは?」
 ノエルの問いかけにエイプリルは中、と親指で背後の酒場を指し示して見せる。サボりかと憤慨するクリスと違うのだろうと首を振るノエルの様子を僅かに口元に笑みを浮かべつつ見つめ、エイプリルはまた歩き始める。
 「エイプリル。どこに行くんだ?」
 「ちょっと出てくる。夜には帰る」
 クリスの背後からの問いかけに手を振りつつ答えれば、了解したらしい二人の足音が遠ざかって消える。肩越しに宿を振り返り、面倒そうにエイプリルは長い髪をかきあげて舌打ちをひとつ。
 「……ったく、若ぇな」
 ぼそり、たった一言だけ呟いて夕闇の近づく町並みに消えていった。


2007/11/03 Ren Katase