「わ、ぁ……!」
最初にあがったのはノエルの歓声だった。
視界一面が真っ白になるほどの白い花、花。嬉しそうな表情のノエルがエイプリルの静止も聞かないまま駆け出す。
「ったく、嬢ちゃんは危機感がねぇな……何かあったらどうすんだ」
やれやれと溜息をついて髪をかきあげたエイプリルがゆったりとした足取りでそれを追いかける。残されたトランとクリスはおもむろにどちらからともなく顔を見合わせ、さらに二人を追った。
街道からは少し離れた場所。森の木々の隙間から白く見えたものをノエルが気にしたのがきっかけで、そのノエルが三人を引きずるように引っ張っていったのがそもそもの発端だった。
「凄い、綺麗ですねぇ……」
嬉しそうに笑いつつノエルはその群生地の中心あたりで立ち止まり、周囲を見回してくるりとその場で一回転してみせる。少しして追いついてきたエイプリルがそのノエルの横で立ち止まり、さらにややあってトランとクリスが追いついた。
「ここまで集まって咲いている白詰草、というのも珍しいですねぇ」
帽子の広いつばを少しあげ、周囲を見渡してやわらかく笑みを浮かべたトランが言えば、シロツメクサ? とノエルがトランを見上げて聞きなれない言葉なのか首を傾げる。そんなノエルを見やり、えぇ、とトランは答えて頷いた。
「クローバー、とも言いますね」
「あれですか! 四葉のは幸運が訪れるっていう……昔、本で読みました!」
両手を握り締め力説するノエルにぱちりと目を瞬いてからトランはその通り、とノエルの言葉を肯定する。さらにぱぁっと表情を明るくしたノエルはクリスとエイプリルを交互に見やってからあのぉ、と口を開いた。
「……四葉、探していいでしょうか……!」
おずおずと言う風に言われ、クリスとエイプリルは間にトランを挟んで互いに顔を見合わせる。そうして青い視線が見詰め合うこと数秒。先に目をそらしたエイプリルがやれやれ、とまたも溜息を一つ。ノエルではなく横に立つトランを見上げた。
「トラン、時間は?」
「……そうですねぇ、ここから歩いても次の街まではそんなにかからないでしょう。日が暮れ始めたあたりでここを出れば間に合います」
エイプリルに問いかけられ地図を広げたトランは空に浮かんだ太陽と地図を見比べてからエイプリルに答える。かさかさと紙の音を立てて地図を荷物の中にしまいこみつつ、じぃと眉を寄せて見上げてくるノエルと視線が合うとトランは大丈夫、というようににこやかに笑いかけた。
「よし。それならいいぞノエル」
「ありがとうございます、エイプリルさん!」
エイプリルが言うことに他の二人が逆らえるはずもなく、トランとクリスもほぼ同時に頷きあう。ふと同じように動いた二人がお互いをちらりと見やり、それからトランがにやりと笑みを浮かべ、その笑みに気づいたクリスが同じように笑みを見せる。
「ま、貴方に見つけられるとは思いませんがね」
「それはこっちの台詞だ」
互いを睨むように見つめあった後、逆方向に歩き出す。それを眺めていたエイプリルは相変わらずだと肩を竦め、ノエルも笑いながら小走りで歩いていった。
「……あれ。トランさん、何やってるんですか?」
探し始めて数分。見栄っ張りらしいクリスはもちろんのこと、意外にやる気になっているらしいエイプリルを尻目にすっかり座り込んで何事か作業をしているトランに気づいたノエルはぱたぱたと近づいていく。その器用に何かをしている手元を覗き込み、一緒になってその横に座り込んだ。
「あ、ノエル。えぇと……ちょっと待っててくださいね」
すぐ終わりますから、と一度顔を上げたトランはノエルに言葉を返し、また作業に戻ってしまう。待っていてと言われてしまえばそこから離れることもできず、動くに動けないノエルはとりあえず、と手近な周辺で四葉を探そうと手を動かし、視線を地面の花々に向けた。
群生地ではあるがさすがに滅多に見ないといわれる四葉。今のところエイプリルもクリスも見つけていないのだろうそれはノエルにもまだ見つけられていない。今度は四葉探しに夢中になり始めるノエルの頭に、しばらくして不意に何か重さのあるものが乗った。
「え?」
きょとんと緑の瞳を瞬き、ノエルが顔を上げればそこにはトランの満足そうな笑み。ぱちぱちと目を瞬いたノエルがトランの手によってだろう頭に乗せられたものを取れば、それはちょうどノエルの頭ぐらいの大きさで作られた白詰草の花冠だった。
「わぁ……トランさん、器用ですねぇ」
「いえいえ。ノエルならきっと喜んでくれると思いまして」
トランの言葉にありがとうございます、と笑顔で頭を下げるノエルにトランは頭を下げ返す。エイプリルさんとクリスさんにも見せてきます! と花冠を頭にまた乗せて立ち上がり、駆け出していくノエルを視線で追って、トランは緩やかに空を仰いだ。見上げれば青い空と白い雲。目線をおろせば真っ白い花々と木々の緑。遠くで聞こえるノエルの楽しげな声、それと同じぐらいの音で響く小鳥のさえずり。暖かい日差しに目を細め、トランは軽く腕を上げて身体を伸ばした。そうして、軽く視線を落とす。
「……あれ」
目に入った、ひとつの葉。根元の辺りから細い茎をつまんでぷちり、と切って目線まで持ち上げる。一つの茎についた、小さな四枚の葉。
「おや、こんなところにあったんですねぇ」
「何がだ?」
思わず口に出た呟きに言葉が返って、トランはびくりと肩を震わせる。ずるりと落ちかけた帽子を被り直したトランが背後を振り返れば、声の主が四葉を持つトランの手元を覗き込んでいた。
「クリス。四葉は見つかりました?」
「あぁ。ノエルさんに渡してきた。エイプリルも見つけたらしい」
あっち、とクリスが親指で背後を指し示せば、ノエルがトランに作ってもらった花冠をエイプリルに被せているところだった。
「……あぁやってみると女の子同士、って感じですよねぇ」
「まったくだ」
たとえ口調が男らしかろうとエイプリルは擦れ違った男性が振り返るような綺麗な容姿であるし、ノエルも十二分に可愛いと言えるだけの外見だ。その二人が白詰草の花冠でじゃれあっている姿は普通に見目が良い。しみじみと呟いたトランに溜息混じりにクリスが答え、そうしてこちらも互いに顔を見合わせる。そうして互いに言わんとしていることが一致していることに気付いてどちらからともなく笑みが漏れた。
「トランさーん、見つけましたー!」
二人の会話をさえぎるようにノエルの声が響く。エイプリルが見つけたもの、クリスが見つけたもの、ノエルが見つけたもの、そうして今現在トランの手の中にあるそれ。手を振って走ってくるノエルと、その後ろから歩いてくるエイプリルとを確認してトランはローブの裾を払って立ち上がる。
駆け寄ってきたノエルにトランは己の持つ四葉を見せて手渡せば、ノエルは嬉しそうに四つの四葉を手の中に大事そうに包み込んだ。
「凄いですよね、四つも見つかるなんて!」
嬉しそうに笑うノエルにクリスとエイプリルが頷いて答える。手の中の四葉を見つめ、ノエルはふと思いついたようにトランを見上げた。
「あ、で、でも……これ、どうしたらいいでしょう」
「もちろん考えてありますよ。次の街に行くまで持っていてもらえますか、ノエル」
トランの言葉にはい、と元気よく頷いてノエルは四葉を手の中にしっかりと持つ。少し考えるようにしていたエイプリルがあぁ、と納得したように頷いた。
「押し花か」
「おや、気付きましたかエイプリル」
「お前の本は使えそうだからな」
身も蓋もなくトランの持っている魔術書を指し示すと、エイプリルは自分のベレーの上から被せられていた花冠をノエルの頭に戻す。陽がだいぶ傾いてきたのを空を見上げ確認すると、ノエルの肩を軽くたたいて促した。
「行くぞ。そろそろ行かないと間にあわねぇ」
エイプリルが歩き出し、それをノエルがマフラーを揺らして小走りで追いかける。さらにそれに続こうとするクリスをトランは小さな声で呼んで引き止めた。立ち止まったクリスの横にならび、トランははい、と軽く握った掌を差し出す。
「……何だ?」
「いいから手を広げてくださいよ」
怪訝な表情でトランを見やるクリスにを急かしつつ、納得いかない表情で広げたクリスの掌に落ちたのは、白詰草でできた小さな指輪。クリスが手元から顔を上げれば、既にトランはエイプリルとノエルを追って歩き出していて。やや駆け足でトランの横に追いつき、並んだクリスがトランを見やれば、トランはいつもの表情でクリスに対して笑って見せた。
「この花の花言葉、知ってます?」
口を開こうとするも先にトランに声を掛けられ、クリスは言葉を失う。知らないと首を横に振るだけで答えたクリスにトランはいつもの表情よりもずっとやさしげに微笑んで見せた。
「花言葉は『思い出して』――あと、『約束』というのがあるのだそうですよ」
トランの言葉の真意を読み取れずにきょとんとしているクリスの前で、トランは悪戯っぽくからかうように笑って背を向け、先を行く二人を追いかける。
「……っ、トラン、待て!」
さらにそれを追いかけるクリスがその白詰草の指輪をそっとしまいこんだのは言うまでもない。
2007/11/10 Ren Katase