Suicide Syndrome






 「クリス」

 呼びかけは、小さな声で。

 「そらを、みせてくれませんか」

 そらを、見たがっていた。ずっと。
 その髪の色も、目の色も、笑い方もなにも変わりはしないのに、ほんの少しだけ。
 細くなった身体と――そらにいるかのようなその、意識。
 トランの呼びかけにクリスはそっとカーテンを開く。差し込む陽の光にトランは少し、目を細めたようだった。

 「ありがとうございます、クリス」

 ふわ、と笑って。その笑みも、クリスが知る昔の表情と変わらない。
 変わってしまったのは。


 きっと、自分の起こしてしまった行動のせい。



 【序:Alea iacta est】




 『……もしかしたら、彼を再生させることができるかもしれない』

 囁くように、しずかな声が言葉をつむぐ。
 その声が、クリス=ファーディナント、と名前を呼んで。
 す、とどこか無機質な、赤みの強い紫の瞳がクリスをとらえ、真っ直ぐに見すえる。

 『成功率は高く見積もって6割。……低くはない……が、高くもない』

 大切な人を、生き返らせること。
 誰もが夢見て、そうして本来ならば決して届かないそれが、指先の届くところにあって。
 それなら、手を伸ばさない理屈はない。

 『今はただ、方法がある――と、それだけだ』

 どうする、と。瞳が問う。
 うしなったものがあって。
 とりもどす方法があって。
 ……たとえそれが、倫理にふれても。
 クリスが視線をあげる。正面から、視線をあわせた。

 『……トランが、戻ってきてくれる可能性があるんだったら』

 クリスの呟きに、ほんの少しだけ驚いたように目がひらかれて。
 そうして、わかったとちいさく頷いた。さら、と真白な髪がゆれる。

 『……再生にとりかかる』


  ずっと、いっしょにいたかった。
  おもっていたのはただそれだけで。
  うらんでも、にくんでも、けっきょく、なにもかわらない。
  それでも、ただ。


 『……おそろしいほどに順調だ。失敗しない、とは断言できないが』
 『どうして、トランを生き返らせようと思ったんだ』
 『……』

 すこしだけ、沈黙して。あきらめたような嘆息をひとつ。

 『キミが幸せでないと、かなしむひとがいる』

 ぽつん、と落ちた言葉。固有名詞も代名詞もないそれ。
 それでも誰を指しているかは明確で、クリスはすこし、わらってみせる。
 緑色の瞳の少女は、今でも、この青年のそばにいるのだと。


  つながったおもいは、かんたんにきれてしまって。
  いとしいひとをおもいつづけるのは、おろかですか。
  またそばに、とねがうのは、おろかですか。


 『間違いがなければ、今日で……目をさます、はずだ』
 『……再生、できたのか』
 『完璧、とはいかないが』

 一度うしなった身体を再構築して、取りだした部品を使用して。
 理屈的にはあっているはず、と眉根をよせてぼそり、つぶやく。
 たとえ完璧でなかったとしても。
 目をさまさなければ、それが本当かどうかはわからない。
 だから、ただ、願う。
 このまま、何事もなく終わってほしい、と。

 『……雲行きが怪しい。終わる前に来なければいいが』




 ゆっくりと、その時間は近づいていた。




 不意に響いた雷鳴。
 視界を真白に染めあげる稲光。数秒の後、響き渡る轟音。
 無意識に呼びかけた声は音にかき消されて耳にはとどかず。
 しずかになった部屋の中。降りだした雨だけが、静寂を嫌がっているかのようで。

 『……ここ、は』

 稲光の白にやられた瞳はまだ暗闇に慣れず、ただ聞こえた声に肩を震わせる。
 聞きおぼえのある声。
 忘れるはずがない。忘れられるはずがない。

 『……トラン?』

 闇に目が慣れてくれば、座りこむ姿。
 紫の髪、細身の肢体。ゆるりと首をめぐらせた彼と、視線があって。

 『クリス』

 ぽつりとただ、名を呼んだ。


 そして賽は投げられた。
 来るべき時に向けて。



2007/12/18 Ren Katase