Suicide Syndrome






  ――ずっと、いっしょにいたい。
  おさなごのように、それをただ、ねがっているだけ。


 『……予定外の事故があったとはいえ、確かに再生はできた』

 呟く声によろこびはなく、いつもどおりに淡々とした口ぶりの中に見える、わずかな苛立ち。
 とにかく、と言葉をひとつ、切った。

 『目に見える障害があれひとつでよかったと思わなければならないだろうな』

 溜息とともに吐きだされた言葉。苦くわらうクリスにすぃと視線をむけて。
 何かあったらくるといい、とただそれだけを告げた。


  やくそくなんて、していなかった。
  そばにいたかった、ただそれだけで。
  だから、また、そばにいられる。
  しあわせとはきっと、そういうもの。


 「クリス」

 ちいさな呼びかけ。窓辺の椅子に腰かけて、そらを見ていたトランの声。
 クリスが視線をあげれば、細い手が手招いて。

 「どうした?」
 「これを」

 差しだしたトランの手のひらの上。ちいさな、桃色の花びら。

 「桜、か?」
 「今、窓から入ってきまして」

 思わず手にとってしまいました。そう言って、クリスの記憶にある同じ表情で、わらう。
 ふわりと風が動いてトランとクリスの髪を揺らし、手のひらの上のちいさな花びらをそらへ舞わせた。

 「クリス」

 そうして、その花びらを視線で追ったクリスをもう一度呼んで。
 クリスに向けて花びらの消えた両手をゆるりとあげて差しのべる。

 「外に、連れて行ってくれませんか」
 「……短時間だからな」
 「十分ですよ」

 事故の影響なのか。
 それとも、再生させた影響なのか。
 トランは四肢が弱い。立つことはできるが長時間歩くことができない。
 握力も前にクリスと共にいた頃とは比べものにならないほど、弱い。
 それが、『目に見える障害』。

 『それだけで済むとは思えない。……気をつけて、見ていることだ』

 クリスの脳裏をよぎる、しずかな声。
 両腕でトランを抱えあげれば、クリスの肩にトランがことりと額を寄せた。
 さらに低くなった体温と、怖いぐらいに軽くなった重みを感じる。
 最初こそ、何度も謝って、何度も自分ひとりで立とうとして。
 その度にそんなことはないという応酬が続いたのは、すこし前の話になる。

 トランが死の淵より目を覚ましてから、一週間。
 木々は芽吹き、花が咲き誇る、春の話。

 トランを両腕で抱えたまま、ゆったりと歩を進める。
 一度は死んだトランを街中に連れ出せるはずもなく、クリスは郊外にひとつ、家を持った。
 誰とも会わなくてすむ、というのは意外とココロに楽なもので。
 ふたりとも互い以外に気兼ねすることもなく過ごして、一週間が過ぎた。

 「トラン、寒くないか」
 「平気ですよ。クリスは心配性ですよね」

 くすくす。トランがわらう。
 腕の中でわらう声に、クリスは心配しているのにと眉を寄せた。
 昔ならば、脅かすように抱えた腕の力を抜くことも考えたが、今のトラン相手ではそれもする気にならない。

 「……あ」

 視界を、花びらが踊った。
 一枚、二枚。ひらり、ひらり。
 すぃ、と跳ねるようにそらを舞っては、風に乗って二人を過ぎる。
 上げた視線の先、薄い桃色の花を咲かせた木が見えた。

 「降ろしてもらっていいですか、クリス」
 「足がきつくなったらすぐ言えよ」
 「わかっていますよ。子ども扱いはごめんです」

 腕から力を抜いて、抱えていたトランを降ろす。
 クリスの肩に手を乗せて立つトランは、クリスよりまだほんのすこし背が高い。
 元の姿のまま、再生させたのだから当然なのだけれど。
 いくぶんか頼りない足取りで歩きだす。
 心配そうに見守るクリスの前で、トランは木のそばにたどり着く。
 降るような花びらの中、トランはすこし離れた場所に立つクリスにわらって見せて。

 「クリスも、こっちに来ませんか」

 まるで子供のようにこちらにこい、と手招くから。
 仕方ないというようにわらったクリスがそばまで歩みよる。
 やはり足がつらいのか、トランがその場に座りこみ。
 クリスは横で立ったまま、トランに習ってそらを見あげた。

 「花が好きか?」
 「きれいじゃないですか」
 「まぁ、そうだが」

 何気ない会話。
 まるで、あの旅のころを思いだして。

 「……また」

 ぽそり、トランがささやいた。
 クリスが視線をさげた先、懐かしげに瞳をほそめて。

 「あんなふうに、わらいあえたら、」
 「大丈夫だ」

 トランの言葉をさえぎって、クリスは言う。
 それ以上、ただ聞きたくなかっただけなのだけれど。
 昔のことを懐かしんでも。
 それと比較して今を、見たくはなかった。

 「……また、できるようになる」
 「……そう、ですね」

 ふうわりと、トランはわらって。
 そうして、降るような花びらに手をのばす。
 手のひらに落ちたそれを、いつくしむように両手でつつんで。

 「ずっと、ずっと、きっと、」

 そのあとの言葉は、クリスには聞こえなかったけれど。


  いっしょに、いられる。
  いつか、ずっとずっとさきに、なにかが、あったとして。
  けれどいまは――。





 【1:Dum fata sinunt vivite laeti.】







2007/12/18 Ren Katase