Suicide Syndrome


 窓から見下ろしているのは蒼い月。
 誰もが寝静まった深夜、橙色のランプの下でエイプリルはひとり、酒を傾けていた。
 グラスの中、琥珀色の液体が揺れて、映りこんだ端正な少女の顔を歪ませる。
 「……エイプリル」
 小さく、まだ幼さを残す声がエイプリルを呼んだ。すぃとエイプリルが青の視線をあげれば、佇む少年の姿。
 クリスは随分と難しい表情でエイプリルを見つめていたが、ゆったりとした足取りでエイプリルの傍まで歩いてい来ると小さく溜息をついた。
 「いったい、何の用だ? 明日も早いだろう」
 「まぁいいから、座れ。少し話でもしようじゃねぇか」
 にやり、と端正な表情をどこかニヒルな笑みに歪めて言うエイプリルにクリスは眉間の皺を深めるも、渋々といった様子でそのままエイプリルの向かいに腰かけた。
 「……どうでもいいことだったら、私はすぐ寝るからな」

 【オモイのカナタ】

 そもそも、本来ならばエイプリルには関係のない話であって。
 さらに言うならば、この「薔薇の武具を探索する旅」においても本来ならば関係はない。
 別に、エイプリルとて二人の仲をどうこうする気はない。
 ただ、歪な関係の行く末を見てみたかった――それが、おそらくいちばん正しいだろう。
 「我ながら、らしくねぇな」
 「……何のことだ」
 ぼそりと口にしたエイプリルの言葉を聞きとがめ、クリスが問う。その口調にちらりと視線を投げたエイプリルは何でもねぇよ、と細い肩を竦めて見せた。
 ことん、とエイプリルの前にグラスが置かれる。ゆらりと液体が揺らめいた。向かいに座るクリスのどこか面白くなさそうな仏頂面は変わらず、頬杖を付いたエイプリルはにやりと口元をゆがめた。
 「そんな顔してるんじゃねぇよ。質問に答えたら返してやる」
 エイプリルの言葉にクリスの視線が上がった。青と青の瞳が向かい合う。
 無言の視線はただ、先を促しているようだった。
 「……お前、トランをどう思ってる」
 昼間と同じ、だが問いかける相手も問いかける内容もほんの少しだけ違う質問。
 は、と気の抜けた声を漏らしたクリスは仏頂面だった表情をどこか子供っぽいきょとん、とした表情に変えて、それから額に手を当てつつ深々と溜息をついた。
 「何故あいつのことについて聞かれなければならん。あれはダイナストカバルの人間、すなわち神殿の敵なんだぞ」
 すらすらと述べられる、クリスにとって明確な答え。そのまま神殿について熱く語りだしそうなクリスをエイプリルは片手を軽く上げることで押し留める。
 神殿の敵。そんなクリスがよく使う言葉が、エイプリルの意識に引っかかる。
 「俺が聞いているのは神殿がどうの、悪の組織がどうの、じゃねぇ」
 「ではなんだ」
 「クリス=ファーディナントという、お前個人がどう思っているか、だ」
 神殿も、悪の組織も関係なく。クリスと言う一個人にとって。
 エイプリルから見れば、この歪な関係はきっちりと双方向であると見えている。そして別段、エイプリルはそれを良くも悪くも思ってはいない。ただ、その歪な関係が旅に影響の出るものだと困る。ただそれだけ。
 それでいいんですと、ただ笑った男を思い出してエイプリルは小さく息をつく。どいつもこいつも不器用だ、と口の中で嘯いた。
 「……私、個人か」
 しばらくの沈黙の後、クリスはぽつりと小さく言葉を落とした。見れば、俯いた顔は長めの前髪に隠れて見えず。テーブルの上で組まれた手をじっと見つめているようだった。
 「……正直な話、わからん」
 ぼそり、と。小さな声が告げる。ほとんど人のいない今だからこそ聞こえたほどの音量で。
 ゆっくりとクリスの顔が上がり、エイプリルと真っ直ぐに向かい合う。一瞬だけ視線が絡むも、クリスからすぐさま逸らされた。
 「わからねぇのか」
 「……まだ奴と私のことを組織と切り離して考えられない」
 そう言ってクリスはゆるりと首を横に振った。さらさらと色素の薄い金の髪が揺れる。
 重症だな。そう思ってエイプリルは小さく頷き、座りなおすように足を組みかえる。頬杖を付いたまま、手元で被っていたベレーを弄ぶ。視線はまた俯いてしまったクリスにむけて。
 「そういうことを聞くならば、トランはどうなんだろうな」
 俯いたまま唐突に呟いたクリスの言葉にエイプリルはぱちりと目を瞬く。
 何か納得したかのように頷いたクリスは、組んでいた手を外して頬杖を付いた。
 「トランがお前をどう思っているかが聞いてみてぇのか?」
 「少し、興味がある」
 互いに二人、顔を合わせれば他愛もない罵りあいせめぎあい。ノエルはいつもその様子を慌てているようだが、エイプリルからしてみれば二人とも交流の一環としか見えていない。
 だからこそ、互いに嫌ってはいないだろうが、というところで意識がストップしてしまうのだろうか。
 ふとそんなことを考えてエイプリルは悩むように唇に指を触れさせた。
 「話はそれだけか?」
 「……まぁ、そんなもんだな」
 黙りこんだエイプリルに業を煮やしたのかかたりと椅子の音をさせてクリスが立ち上がる。
 それに頷いたエイプリルは行っていいと言うようにひらりと手をひらめかせた。
 同じように頷き返したクリスが部屋に戻ろうと踵を返し、ふと、足を止めた。
 「……エイプリル」
 「ん?」
 呼びかけにグラスを煽っていたエイプリルが返す。背中を向けたままのクリスがふと、肩越しにエイプリルを振り返った。
 「……少なくとも、私個人としては」
 一度そこで言葉を切った。顔を前に向けて、一歩、足を進める。
 「……あいつのことは、嫌いではない」
 ぼそりと、一言だけを残して。
 そのままとんとんと階段を上がっていく姿を見送り、エイプリルは笑みを浮かべて肩を竦めた。
 結局は、互いに互いを見ていることに気付いているはずなのに。
 少なくとも旅に影響しなければそれでいい。そう思ってエイプリルは笑みをさらに深める。
 「……素直じゃねぇ奴らばっかりだ。若いな」
 くつくつと喉を鳴らして笑いながらエイプリルはグラスに残る酒を飲みきり、椅子から腰を上げる。テーブルに置かれたベレー帽を被りなおし、スカートを揺らして階段へと足を向けた。


 隠しているヒトと、まだ気付かないヒトと。
 お互いに気付くのはどちらが早い?



2008/04/09 Ren Katase