Suicide Syndrome


▼君を愛す・10題/15題より10題抜粋

>簡単な説明。
ルージュリプレイ内(4巻)〜ED後の話。
ノエル→トラン前提のレント→ノエルでレント×ノエルとなっております。
LastUpDate【2008/03/15 ― 4、5話更新】
>お題提供先 【GODLESS















































1.小さく華奢に見えた背中


 ノエル=グリーンフィールド。
 大首領に命じられ、守り通すと誓った少女。
 レントが加入して少しが過ぎて、北へと向かう旅の途中。後ろを歩くレントはノエルの後姿を見つめ、それから頭の中で目覚めたばかりの時に命じられた大首領の言葉を思い返す。守り通すこと、それだけが自分の生きている存在意味でもある。
 自分よりも頭ひとつ分近く小さな少女はそれでも両手剣――薔薇の武具カラドボルグを振り回す。戦闘が終わってしまえば、彼女はまだ16の少女であって。
 初めて出会ったときに随分と小さく見えた姿は、いざ戦闘となればクリスと共に前線へと出て行き、レントの指示の元的確な攻撃を加える。
 「……ただ、守られるだけというわけではないか」
 ぽつり、とレントは小さく言葉を落とす。自分の脳にインプットされた情報でも守られるだけの少女とは一切記されていないが、見た瞬間はそう思ってしまうだろう。それだけ見た目にはただの少女、であるがゆえに。
 「わ、わわ……」
 前を歩いていたノエルが不意にバランスを崩す。背後に転びかけたノエルの肩をぽすり、と両手でレントが支えれば、緑色の瞳がレントを見上げて。ふとその表情が複雑な感情で歪んだような気がしてレントは軽く目を瞬く。
 「す、すみませんレントさん。大丈夫ですっ、ありがとうございますっ」
 それも一瞬のこと、すぐに体勢を立て直したノエルは笑顔を浮かべてぺこりとレントに頭を下げる。いえ、と一言だけを返したレントにくるりと背を向け、またノエルは歩き出す。
 その背中が酷く、いつもよりももっと細く見えて。
 (何、だ?)
 妙な、違和感。
 無意識にノエルに向けて手を伸ばしかけ、そうしてそれをしている自分に気づいてその手を引く。横を歩いていたクリスが怪訝な表情を浮かべたのは黙殺して、歩いていた速度を緩め、己の手をじっと見つめた。そのままその掌をぐっと握り締める。
 (わたしは、何をしようとした?)
 自分への問いかけに答えは返らない。握り締めた掌を見つめたまま、レントは形の良い眉を顰める。理解できない感覚、理解できない一瞬。『造られた』自分には、おそらくまだそれを理解するための時間が足りない。
 「レントさーん?」
 自分を呼ぶ声にレントは掌を見つめていた顔を上げる。そうして開いた距離を見てから、脳裏にちらつくノエルの酷く頼りなげに見えた後姿をゆるりと首を横に振って振り払うようにし、手を下ろすと他の3人を小走りに追った。
 理解できない感覚の意味はまだ、知らない。



















































2.泣き笑う顔を見、そっと手を伸べれば、


 時間はめぐり、世界は変わり続ける。
 それでも、動かないものはある。
 動けないものがある。


 レントが加入してから数日が過ぎて、あくる日の野宿。見張りをしているレントの横にふと、ノエルが立った。すぃと視線を上げるレントと視線を合わせ、ノエルは少しだけレントに向けて笑ってみせる。
 いつもの明るい笑顔とは違う、どこか困ったような、悲しむような。そんな複雑なノエルの表情を見つめたレントは小さな声で継承者殿、とノエルを呼んだ。
 「見張りの交代の時間はまだ先だと思われますが」
 「いえっ、……ちょっと、お話していいですか?」
 ふるふるとノエルが首を横に振るとふわふわと肩で茶色の髪が揺れる。問いかけてくるノエルの言葉の真意を読めず、レントは頷くだけで肯定を返した。焚き火を囲むようにレントから手が届くかどうかぐらいのやや離れた位置に座ったノエルは膝を抱え、焚き火を見つめる。揺れる炎がノエルの頬をほのかに赤く染めた。
 「……レントさんは、トランさんと同じところで作られたんですよね」
 ぽつりと囁くようなノエルの問いにレントは焚き火に向けていた視線をノエルに向ける。レントの方を向かない緑の瞳を横から眺め、えぇ、と小さな頷きで応じた。
 「……だから、何でしょうか。……お二人が、似てるの」
 前任者のことはレントの脳にある程度しか情報として存在しない。役目を捨て、破壊されたという認識しか持たないが、それを撤回しろとクリスに胸倉をつかまれ怒鳴られたことはまだレントの記憶に新しい。
 「同じ博士に造られましたので。その可能性はあるかと思われます」
 同じ『セプター』性を持つ同士、造った人間も同じ。似ているのも当然ではないかと告げるレントに、ふ、とノエルは表情を曇らせる。膝を抱えるように座っている腕が己の二の腕辺りを軽く掴み、茶色の頭が俯いた。
 「レントさんと、トランさんはやっぱり違うんですよね。わかってるんです」
 囁くような声。風がない今だから聞こえる、本当に微かな、それでいてレントの耳にははっきりと聞こえるそれ。
 「わかっているんですけど……やっぱり、似てて」
 ぽつり、ぽつりと。まるでそれはレントに向けての懺悔なのか、それとも。ノエルの瞳はレントを見ることがない。揃えて立てた膝に顔半分を埋めてただ目の前の炎を見つめたまま、身体を抱くように腕を回している。
 「比較しちゃいけないのに、考えちゃって。……こんなの、レントさんに失礼ですよね」
 その顔がふと、上がった。言葉と共にレントに顔を向け、少し、笑う。その大きな緑の瞳の端に光るものを見つけるも、何故そんな表情をしているかわからずにレントは無意識に困惑した表情になる。
 「……わたしは、気になりませんが」
 どう返そうと困ったような表情のまま理解できない、と呟くように返せば、あはは、と小さくノエルが笑う。それでもその表情が泣き出しそうで、レントは目を奪われて動きを止めた。
 「レントさんなら、そういうと思ってました。きっと、そう言ってくれるって」
 「継承者殿……」
 無理をしている、と。まだ感情に疎いレントですらわかるような笑みで笑ってノエルは言う。ぽつりとノエルのことを呼んで、レントは困ったような表情のまま視線を一度逸らした。ぱちり、と耳に炎が爆ぜる音が聞こえた。
 無意識に、レントの手が上がる。意識することなくその手がノエルに伸び、頬に指先が触れる寸前で気づいてノエルの頬の横で軽く握られる。避けるでもなく触れるでもなく、ただ動かずにいたノエルは不思議そうにレントを見つめていたが、その視線をすぃと下ろした。
 「……ごめんなさい、レントさん」
 呟いた謝罪の言葉は、どれに対してのことなのか。ゆるく握った手を下ろしたレントの前、ノエルはふらりと立ち上がり、そのままレントに背中を向ける。どう声をかけたらよいかもわからず見守るレントにそのままノエルはテントに戻ってしまう。
 「……わたしと、前任者、か」
 テントにノエルが消えるのを見届けて、レントは炎に視線を戻すと小さく呟いた。その口元に自嘲気味な笑みを貼り付けていることも自分では気づかないまま。



















































3.君の頑張りを僕はよく知ってるから


 テニアへと向かう飛行船の上、時刻は朝方。なかなか進まない飛行船の速度に業を煮やしつつ舵を取るレントはひとり甲板の上にいた。まだテニアへは時間がかかりそうだという理由でクリスやエイプリル、ノエルには休息を命じている。
 しん、と静まり返り、飛行船のプロペラの音だけが響く甲板上。だいぶ近づいていはいるのだろうが、調子が良くないせいかスピードは出ない。あまり変わらない表情の中眉を寄せ、レントは小さく溜息を落とした。一度目を閉じてから開けば、甲板上に見慣れた後姿。
 「継承者殿」
 舵から手を離すわけにも行かず、寒いのか肩に毛布を被っているノエルにレントが声を掛ければレントさん、と小さく名を呼びつつノエルは舵を握ったままのレントの傍まで歩み寄ってくる。傍らまで歩み寄ってきた小さな姿に視線を向け、レントは首を傾げる。
 「どうしました。眠れませんか」
 これから進む道を思うがゆえに眠れないのかと問えばノエルはちらりとレントを見上げ、複雑そうな表情でええと、と呟く。わたわたと慌てるように落ち着かなく足元や周囲に視線を向けてからそのまま足元を見つめてしまう。身体の前で毛布をかき集めて軽く握られた手、落ちた視線。
 「あの、いえ……そのぉ」
 飛行船の前方を注意して見つつ、レントはノエルが口を開くのを待っていた。時折握った舵を動かし、方向を修正してはできるだけ速度を落とさないよう注意して。それでも口を開かずそのままうつむいたノエルにレントは呟くように声をかける。
 「……それとも、不安、なのでしょうか」
 レントの声にノエルがぱ、と顔を上げた。そうして、困ったように笑う。
 「……はい」
 囁くように肯定の言葉を紡いだノエルを視線だけで見やり、レントはまた前を向く。まだ遠い雲の向こう、空中都市テニア。そしてそこに、ノエルの母ノイエを取り込んだ神竜ゾハールがいる。
 「お母さんのこと助けれるのかな、とか、また……誰か、いなくなっちゃうんじゃないか、って思ったら、眠れなくなって。だめですよね、あたしが頑張らなきゃならないのに」
 えへへ、とまるで照れたように髪をいじりつつ笑うノエルの紡ぐ台詞に、まだ『前任者』の死が色濃く残っていることを実感してレントは無意識の内に一瞬だけ表情をほんの微かに曇らせる。元々あまり動かない顔の中、自分自身でさえわからないほどのそれに横のノエルが気づくことはなく。
 「……大丈夫です」
 ややあって、レントが小さく口にした。視線はただ進行方向に真っ直ぐ前に向けたまま、不思議そうに顔を上げるノエルの方は見ることなく、ただ一言だけ。
 「貴女のことはわたしが守り通します」
 ノエルの問いにレントが簡潔な言葉を返す。自分に与えられ、命じられたのはノエルを護ること。命に代えても、と誓ったがゆえにきっぱりと告げ、そうして舵を掴んだ片手を離し、ノエルに向かい合うようにやや身体を向けた。そんなレントを見上げたノエルはどこか困ったように、泣き出しそうな表情で微笑んだ。
 以前見た、あの表情と今の表情が重なって見えてレントは名を呼ぼうと口を開く。
 「ありがとうございますー……でも、あたしが思ってるのはそうじゃなくて」
 口を開きかけたレントの言葉を遮って頭を下げつつ礼を延べ、ふるり、とノエルが小さく首を振った。ゆらり、と髪が揺れて、うつむいた目元を隠す。
 「あたしは……クリスさんにも、エイプリルさんにも、もちろんレントさんにも死んでほしくないんです」
 ノエルの言葉を聴くレントの脳裏にふ、と『前任者』の影がよぎる。何不自由なく育ってきたこの少女にとって、短い期間であっても共に過ごしてきた『仲間』の死というのはどんな風に写ったのだろうか。まだ『それ』を経験したことのないレントには想像することすら危うく、ノエルがここまで自分以外の誰かを死なせたくないという理由がわからずにいる。
 「あたしのために、傷ついてほしくないんです。もう、二度と」
 す、とノエルが顔を上げた。意志の強い瞳が真っ直ぐにレントを見つめてきて、その強い瞳にレントは気圧されたように目を瞬いて一瞬言葉を失う。舵を握った手に、わずかに力を込めた。
 「……継承者殿」
 無意識に唇から滑り出た呼び声にレントは現実に引き戻される感覚を襲われて少しだけ息をついた。前に立つノエルの和らいだ表情と笑みに安心するような感覚を覚えながら。
 「だから、あたしは頑張ろうと思うんです。みんなを、守りたいから。
  レントさんやクリスさんが、あたしを守ってくれるみたいに」
 胸の前で両手を組んで、ノエルは笑う。その笑みに口元をほころばせてレントは頷いて返す。一瞬だけ見えた、あの表情。彼女の強さの理由を垣間見たような気がして改めて実感を深めつつレントは軽く頭を下げた。
 「……えぇ。貴女の頑張っている姿は、よく知っています」
 レントがノエルの傍にいる時間は、『前任者』と共にいる時間とは到底及ばない。それでも、ノエルの傍にいたというそれが事実であって、彼女が誰よりも頑張っていることもわかっている。もちろんそれはレントだけではなく、クリスもエイプリルも、だろうということも。
 ですから、とレントは一度言葉を切った。舵から手を離し、ローブの裾を軽く引いて緩やかに頭を下げる。
 「このレント=セプター、継承者殿の旅に最後までお供します」
 「……ありがとうございます、レントさん」
 顔を上げたレントに向けられた笑顔は前までレントが見ていた泣き出しそうな表情ではなくて、幼さを残した明るい笑顔だった。



















































4.だから、その手を握り締めた


 大切だと、守りたいと願う。
 傍にいたいとも、ただ、願う。
 願いはただ、それだけ。


 「……レントさん」
 満身創痍の少女は、その傷をヒールで癒すこともしないままにレントの横に立った。クリスとエイプリルは別々に行動していて、今ここにはいない。
 「何でしょう」
 「これで、終わったんですよね」
 声をかけられてレントが問い返せば、ぽつりとノエルがレントにさらに問うた。呆然とした呟きにレントがノエルに視線を向ける。神竜ゾハールを打ち倒し、ノエルは己の母親を救った。ゾハールによって生み出された光の竜たちも徐々に駆逐されつつある。
 まだこれから復興やその他やることが色々とあるのだろうが終わった、と言うのであれば一応は終結したのだと言えるのだろう。しばらく口を閉ざしてそう考えた後、レントは首を緩く縦に振った。
 「えぇ。……お母様を救われ、ひいては世界をも救われた。これで、すべてが終わったのです」
 そう言葉を返して、そっと笑みを向けて見せる。恐らく行ったことだけを見れば英雄と言われてもおかしくはないのだろうが、ノエルにとっては母親を救おうとしただけに過ぎない。そこには触れずに言うレントを見上げていたノエルはどこか不安げな表情でそう、ですよねと囁きをもらすと戸惑うような表情でそっと視線を下げた。ぎゅ、と両手が胸の前で組まれ、握られる。
 「……変なんです」
 そうして、不安げなその表情のままぽつり、小さく呟いた。
 「……変、とは」
 ノエルの言葉の意図がわからず、レントは帽子を少しだけ揺らしつつ不思議そうに首を傾げる。そのレントの横で、ノエルは組んだ両手をゆっくりと離してその掌を見つめる。緩やかに手を握りなおし、胸の前に手を当てた後ゆっくりとレントを見上げた。
 「終わったはずなのに、まだ、手が、震えてて」
 表情は笑っているのに、そう言っているノエルはどこか苦しそうに見えて。レントは表情を少しだけ歪め、一瞬だけ名を呼ぼうと試みてすぐ口を閉ざした。呼びかけてはいけないような、そんな気持ちにさせられて。
 「何かあるんじゃないか、って。……誰かが、倒れてないかって、不安で」
 囁くように、呟くように。ただ表情を失って口にするノエルを見つめたまま、繰り返すように下ろされた掌に自分の手を差し伸べ、そっとその両手を重ねた。包み込むようにノエルの両手を抱いてレントはゆるりと頭を下げる。
 あえて、顔は見ずに。苦しそうで、泣きそうなその顔を見ていたくはなかった。静かに、唇を開く。
 「大丈夫です。心配する必要はありません」
 しっかりと、言い聞かせるようにレントは口にする。顔を上げ、真っ直ぐにノエルを見つめれば、目を瞬いたノエルもまた真っ直ぐにレントを見つめ返して。手を取った片手を離し、もう片方の手は繋いだままでレントは離した手を自分の胸に当てる。
 「わたしたちはここにいます。……貴方の傍に」
 微かに震える手を落ち着かせるように軽く握って、視線を合わせようとレントは少しだけ屈んだ。緑の瞳と視線が合って、ふ、と笑いかける。安心させたいと、ただそれだけを思って。
 「肩の力を抜いてください。大丈夫です」
 胸に当てていた手をノエルに向け、そっと肩に触れる。グローブ越しに掌から伝わる暖かい温もりが混ざるような、そんな感覚がして。心配ない。だから、ただ、笑って欲しいと、それだけを思った。
 「……そう、ですよね。ありがとうございます、レントさん」
 しばらくの沈黙の後、ふわり、ノエルが笑う。
 そうして、レントから離された手がぎゅ、と握られていつもの笑顔をレントに向けた。
 「こんな風にくよくよしてたらいけませんよねっ。がんばらなきゃ」
 しっかりとした口ぶりにほっとするようなものを覚えてレントも僅かに口元に笑みを浮かべ、頷いた。レントが知る、いつものノエルだ。明るくて、良く笑う。
 そうして、レントはふと口を開いた。ノエル、と呼びかければ笑顔ではい、と答えが返る。
 「これからどうするか、決めていますか」
 恐らくはノエルにとって意外とも言える問いかけだったのだろう。ノエルはきょとんと大きな緑の瞳を瞬いて、それから考えるように視線をさまよわせること数秒。困ったように少し、視線を足元に落とした。
 「いいえ……まだ。あ、とりあえずあの、お父様とお母様のところに帰ろうと思って!」
 続いた言葉はノイエのことではなく、ヴァンスター帝国にいるグリーンフィールド夫妻のことだろうとレントは即座に理解する。ノエルにとってはグリーンフィールド夫妻のことも間違いなく「両親」なのだから。
 ノエルの言葉になるほどと納得し、頷いたレントは胸に手をあて、じ、と真っ直ぐにノエルを見る。不思議そうな表情を浮かべたノエルがそのレントを真っ直ぐに見つめ返した。
 「ひとつ、お願いをしてよろしいでしょうか」
 「はい。あたしができることならー」
 にこにこと先ほどまでの不安げな表情を一変させて言うノエルにゆるりとレントが頭を下げた。顔は見ず、そのまま頭を下げたまま静かに、言葉を紡ぐ。
 「わたしを、貴女の傍に置いていただけませんか」
 ずっと、考えていたことだった。
 短い時間であるけれども、傍にいたいと思った。命令されたことを守っているというのも、間違いではないのかもしれないが――この考えを告げることは、間違いではないとレントは思う。
 「……レントさん、を?」
 「えぇ。大首領から命じられたこととは別に――わたしは、貴女を守りたい」
 困惑した声。レントが頭を上げる。緑色の瞳の奥に、戸惑うような、困ったような。泣き出したいような。
 そんな複雑な表情が見えて、レントは静かに理由を述べる。受け入れられるとは元々、思ってはいない、が。ほんの少しの希望を信じてしまう自分を、腹の底で少し、笑う。
 「レント、さん」
 声の調子は、戻らない。表情は、徐々に泣き出しそうに歪んで。ノエルはゆっくりと顔を俯ける。
 ――そんな表情を、させたいわけではないのに。
 「……守りたい、って。そう言ってもらえるの、うれしいです。でも……あたしは」
 言い出しにくそうに口ごもるノエルを見つめ、レントはす、と表情を失う。下ろした掌が、無意識に握られたことに、自分自身は気づかないまま。
 「……前任者のこと、でしょうか」
 「!」
 ゆっくりと、勤めて冷静に口にするとノエルの顔が弾かれたように上がった。その瞳に光るものが浮かんだのは、レントの気のせいでは多分、ない。
 「……彼は、」
 「言わないでください、レントさん」
 ――どこまで、行こうとも。
 言い募ろうとするレントに、ふるふるとノエルは首を振る。両手をあげて、耳を塞いだ。目も閉じて、全てを拒絶するようにレントから一歩、後退する。そうして、俯いた頬を伝った透明な雫で悟る。
 「お願い、だから」
 まだ、何一つ彼女の中では終わっていないのだと。



















































5.大丈夫、大丈夫だよ。うん、大丈夫。


 長い旅だった。
 ずっと、一緒にいられると思ってた。
 クリスさんと、エイプリルさんと、……トランさん、と。
 4人で、これからも一緒で、最後まで――って。疑いようなんてなかった。
 疑ったことなんて、なかった。
 当然だと思えてしまう、それだけの長さを、一緒にいたから。


 『……トランさんが、倒れてますよ……』
 脳裏に焼きついた、消せない記憶。
 血の赤。
 遠く響いた、自分の声。
 倒れ伏して動かない、身体。
 揺らぐ視界。
 現実を認識しない思考。
 歩き出すクリスの金の髪だけ、ちらりと色のない世界で輝いた。
 『……大丈夫か、ノエル』
 エイプリルの呼びかけに、ノエルはゆるりと顔を上げる。
 言葉を返さないまま、エイプリルが差し出した手を取ると引かれるままに歩き出した。
 思考は完全に停止していた。前で揺れるエイプリルの長い金の髪を見つめていただけで。
 誰も何も口にはしなかった。言葉に出来なかった。
 突きつけられた現実は、言葉にしただけですべて崩れそうだったから。

  『……うそつき……!』

 ただひとり、泣き叫ぶアルテアの声だけがノエルの耳の奥にこだまする。
 左腕につけた、銀色の篭手の冷たさが全ての現実を肯定していた。


 『……どうしたらいいか、わからない――』


 「ノエル」
 小さな声の呼びかけにノエルは振り返る。金の長い髪を揺らしてノエルに近づいてきたエイプリルは僅かに笑み、久しぶりだな、と言葉を続けた。
 神竜ゾハールを打ち倒して数ヶ月。クリスは神殿に、レントはダイナストカバルに戻り。エイプリルも戻るはずだったがノエルの知らないところで何かがあったらしく、久しぶりに会わないかという手紙が舞い込んだのはほんの数日前の話。
 「お久しぶりです、エイプリルさん」
 「あぁ。……他の奴らとは連絡を取っているのか?」
 ヴァンスター帝国、グリーンフィールド家。自分の部屋に招いたノエルはにこにこと笑顔を絶やさず、その様子にどこか安心した様子でエイプリルも微笑み、気にかかっていたのだろう言葉でノエルに問いかける。そのエイプリルの問いかけにノエルは勢い良く頷いた。
 「はいっ。たまにクリスさんからもお手紙来ますし、……レントさんはほら、お父さんが一緒だから」
 応えたノエルの表情が一瞬、曇る。レント、という単語に反応したのだろうその表情を見逃さず、エイプリルは知られないように僅か眉を顰めた。
 「そう言えばそうだったな」
 何事もなかったように受け答えを返すエイプリルに、ノエルは言葉を続ける。その様子を見つめつつエイプリルはゆるりと長い足を組んだ。
 「会っては、いないですけど。あたしも、お母さんのお見舞いに行くのが精一杯で。
  あ、そうだ。クリスさん、エイプリルさんがどうしているのかって聞いてましたよっ。色々話したいこともあるのに、って」
 「あいつが? 珍しいこともあるもんだ」
 「ですよねっ」
 勤めて明るく振舞っているのだろうノエルを見つめ、エイプリルは静かに息をつく。そうして、僅か言葉と言葉の間に生まれたほんの隙間にするりと言葉を滑り込ませる。
 「……なぁ、ノエル」
 「あ、はい?」
 エイプリルの呼びかけにノエルは不思議そうに首を傾げる。きょとんと瞬いた緑の瞳を射るように真っ直ぐに見つめて、エイプリルはことさらゆっくりと口を開いた。
 「……レントとは、連絡を取っているのか?」
 「……え、と、時々」
 困ったように視線をさまよわせて。ノエルは笑ってエイプリルに応える。その表情と言葉にすぅとエイプリルが瞳を細めた。咎めるでもなく、僅かな溜息と共に声を吐き出す。
 「あいつと、トランは違うぞ」
 「わかってます! ……わかってます。でも、どうしても」
 静かなエイプリルの言葉にノエルは弾かれたように言い返す。緑の瞳が曇って、組まれた細い指先を見つめた。


  『あたしは、いきてるのに』

  おもいだすの。
  あのひとの、えがおを。


 「レントさんを見ていると、思い出しちゃうんです」
 少しだけ、ノエルは笑って。そうして、軽く指先で目尻を拭った。


  しんじられなかったから。

  『どうして、あのひとはもういないの』

  いないなんて、しんじたくなかった。


 「……ノエル」
 言葉を一瞬失ったエイプリルが小さくノエルを呼んだ。
 ノエルはただ、握り締めた掌を胸に当てて視線を下げる。


  『髪の色も、服の色も、雰囲気も、使う魔法も、全部全部、違うのに』

  ぜんぶ、ちがうの。にてない、の。


 「……あたしは……トランさんが、好きだった、から」
 言わないように。気づかれないようにずっとしていたことは、エイプリルは気づいていて。ノエルの言葉にそっと目を伏せた。あの旅の途中で、言えるほどではなかっただろう。
 トランの「代わり」としてレントが現れれば、尚のこと。


  ううん、ひとつだけ、にてた。

  『どうして、おなじこえで、ノエル、ってよぶの』


 「……きついことを言うかもしれんが」
 瞳を閉じて、エイプリルはす、とノエルから顔を逸らした。開いた瞳に映るのは、己の纏った赤いコートのみで。
 ノエルの表情はエイプリルからは見えず、ただ、黙っているようだった。


  『あのひとは、トランさんじゃ、ない』
  『トランさんは、もういない』
  『だから、』


 意を決したように一度瞬いて。エイプリルはノエルへと視線を向ける。その大きな瞳を真っ直ぐに見据えて、逸らせないぐらい強い瞳を向けた。そうして、静かに口を開く。
 「レントを否定するのは、トランが命をかけてやったことを否定することにならねぇか?」
 エイプリルは、レントを否定しない。かといってそれは、トランの行動をすべて肯定することにもならない。レントはレントであり、トランはトラン、エイプリルにとってはそれがすべて。
 ノエルは小さく息を呑んだようだった。きっと、誰もが突きつけなかったことだろう。
 「忘れろとは言わねぇ。吹っ切れとも言わねぇ。……ただ、もう少し。レント自身を見てやってもいいんじゃねぇか」
 「エイプリル、さん」
 どこか呆然としたような表情で、ノエルが囁く。眉を寄せ、悲しげな表情でエイプリルから視線をそらした。その表情を見つめつつエイプリルはさらに言葉を続ける。
 「トランは死んだ。だが、それはアイツが選んだ結果だ。ノエルの気持ちもわからなくはねぇ。
  だが、な……引きずっているだけじゃ、前には進めないぜ」
 ゆっくりと、ノエルが頭を揺らした。わかっています、と囁き声が言って。ゆるりと上がったノエルの表情は、ただ複雑な表情で微笑むだけだった。