Suicide Syndrome




 こっちを見て。
 名前を呼んで。
 ねぇ、あいして?


【Call my name】



「メレン」
 昼下がりのメレンの部屋。ソファに座って本を広げるメレンと、あたかもそれを邪魔するかのように長い手足を投げ出してソファに寝そべり、メレンの膝の上で膝枕よろしく陣取るサルガド。
 声がしたのはサルガドを邪魔しないようにと配慮され浮かされた本の下からで、もちろん、こんな状況なのだからメレンを呼ぶ人間などサルガドしか存在しない。
 声は返さずメレンは読書を続行する。ここで反応をするのはサルガドの望むことで、負けたようなそんな気分になるのは間違いない。
「……メレン」
 少し置いてから、再度呼ぶ声。そうして、細い指先が本の端を軽く引いた。視界で追っていた文字が揺らされてぶれる。ひょいと本をどければ、いつの間に仰向けになったのか満足げに笑う赤い瞳とメレンの金の目とが視線を合わせた。
「……邪魔をしたいんですか、あなたは」
 溜め息混じりの問いかけに返るのは僅かな笑み。答えないままメレンの手から本を取り上げてソファの下へと降ろす。それなりの厚みがあったそれはとすりと言う音と共に床で閉じられた。
 笑っている以上、この猫は構ってもらえるのが楽しいのだとメレンは知っている。本当に不機嫌になったのなら、サルガドは猫よろしく何も言わないままふいと姿を消してしまうのだから。
「さぁ」
 くすくす。笑いながらはぐらかす。指先が伸ばされ、メレンのリボンタイをいたずらに指先に絡めて緩く引く。引かれるようにうつむけば器用に延び上がったサルガドの舌がぺろりと唇を舐める。
 わざと煽るような仕草にやれやれと息を吐けば身を屈めてその額に柔らかく唇を落とす。きょとんと目を瞬いてから笑みを深める姿によしよしと髪を撫でた。僅かに不満げなのは見ないフリをした。
「メレン」
 呼び声は不満げながら甘く響く。指先が頬をたどって柔らかく撫で、じっと見つめてくる赤い瞳を見つめ返して撫で返す。どこか不満げな表情は変わらない。何が不満なのか、メレンにはわかりそうにもない。
「どうしました?」
 問いかけに視線をさ迷わせるようにしてから再度見上げてくる。物言いたげで、不満そうな。
「メレン」
 繰り返す声。名前を呼ぶ声。
「……サルガド?」
 小さく、名前を呼び返した。驚いたように瞬いた瞳が嬉しそうに細められる。身体を起こして首にゆるりと腕が回る。ぎゅう、と抱きついてくる細い身体の背中に腕を回して抱き締め返せば首筋に頬を寄せてきた。
 口許のすぐ目の前にあったからか、かぷりとリボンタイに噛みついて引く。緩く結んであったそれはあっけなくほどけて落ちた。
「どうしたかったんです、あなたは」
「……名前」
 上手く場所を探して落ち着いたのかぽつりと単語だけを返す。今日のサルガドは何かをたくらんでいるのか、それともただ言葉を告げるのが面倒なだけか。
「名前?」
「呼ばれたかった。それだけだ」
 聞き返したメレンの声にどこが嬉しそうな雰囲気を声に乗せる。メレンの名前だけを呼んでいたのはどうやらそういうことらしい。
(……やれやれ)
 気紛れで気分屋で気位の高い猫。今回は飼い主がその意図を読み取れたからか機嫌がかなり良くなったようにも見えた。尻尾や耳があったなら揺れたり動いたりしていたかもしれない。
「満足しましたか?」
「ん……もっと呼べ」
 笑い混じりの声で促され、まったくとメレンは笑う。耳元に唇を寄せて息を吹き込むように囁くように名前を呼べば、ぎゅうと抱きつく腕に力がこもった。
「じゃあ、サルガド」
 声に少しだけ身体が離れる。鼻先が触れ合う距離で視線を合わせ、不思議そうな表情に唇を微かに重ねた。そのまま、口を開く。
「……今度は、私を満足させてくださいね」
 囁くように言った言葉の返事は、重なった唇の体温に解けて消えた。



2012/05/01 Ren Katase