率先して妖魔の群れに突撃して切り伏せる。そんな戦い方をするようになったのはいつからだろうか。少なくとも、こうしてレジメントの代表権、というものになる以前の話であることはおそらく間違いではない。
先頭と殿。そんな戦い方にも慣れてきて、それでも傷を負わないことはないし、無傷で生還など実行するのは難しい。
「んー……」
悩むように眉を寄せて腕を組んで視線をさ迷わせる。今日も先陣を切って戦ったのだから当然傷だらけで、言い換えればいつも通り。腕だの足だの傷だらけ、命やその他身体機能に関わるような傷こそないものの、かすり傷と呼べそうなものは数少ない。
そうして、この傷だらけを非常に喜ばない男がいるわけで。
「……逃げるか」
説教が開始されるまでの時間が長引くだけ。結局捕まって説教はされるもの。そんなことは百も承知。それでも逃げたくなるのは、子供が悪戯を隠すような悪足掻きに似ている。
よし、と決めてからくるりと身体を反転させた。逃げるのであれば気づかれないうちに逃げるのが得策以外の何物でもない。
「フリードリヒ!」
走り出した瞬間に背中にかかる声に肩が震えた。すでに報告は受けていたのだろう、フリードリヒを呼んだあの声色は怒っている。絶対に怒っている。
「待て、その傷でどこに行く気だ!」
「治療したら戻る!」
「嘘をつけ!」
筆頭騎士ふたりの言い合いなど古くからいる人間には珍しくもないし、新しく入ってきた人間には物珍しいと同時に普段から寡黙なベルンハルトと言う人間の意外な人となりが見られる、と言う、ただそれだけの事態。
(だから、誰も止めやしない)
人を縫い、全力で走る。後ろから来る相手はぴったりと追いかけてきているのが聞こえてくる足音でわかる。剣を振り回さないだけまだ真剣に捕まえようとしていないのか、それともただ周囲に配慮しているだけか。
少しだけそのまま追いかけられつつ走ってから、ぐっと足を踏み込んだ瞬間に強い痛みが走って顔をしかめて足を止めた。がくりと身体が傾いた瞬間背後から強い力でぐっと引っ張られて体勢が立て直される。
「やっと捕まえたぞ、フリードリヒ」
「そりゃお疲れ……いててて」
ドスの効いた、という表現が似合いそうな低く地を這うような声に冗談混じりに返せば捕まれた肩に力がこもった。全力で走った故に開いた傷が悲鳴を上げる。
お手上げとばかりに両手をあげたフリードリヒを解放してベルンハルトは深々と溜息を吐く。理解できない。そんな表情だった。
「戻るぞ。治療する」
「……説教は?」
ほんの少しの期待をこめて問いかける。ちらりと向けられた視線、それから僅かながらその口元に浮かんだのは笑みのようなもの。心底意地が悪い。主にその原因を作ったのは自分だが、そう思わずにはいられなかった。
「楽しみにしていろ」
+++
腕や腹に巻かれる包帯、頬に貼られる絆創膏。真新しい傷も古い傷も一緒にまとめて治療されて包帯の下に隠れていく。
見た目よりよほど手慣れた手付きで進む治療をするその指先をぼんやりと見つめていれば、ちらりと視線がこちらを見たような気がした。
ぐ、と今までよりずっと強い力にぎしりと腕が悲鳴を上げる。
「いてぇ!」
「当たり前だ馬鹿者が」
今のは絶対にわざとだ。言った日にはもう一度同じことが繰り返されることが目に見えているのだから口をつぐむ他に方法はない。ふいとそっぽを向いて身を任せつつばつが悪そうに息を吐いた。
「フリードリヒ」
「聞こえない! 聞こえなーい!」
包帯が巻かれていた腕を無理矢理動かして両耳を塞ぐ。身体ごと向きを変えたかったが体勢を変えたらおそらくベルンハルトにぶつかるのでやめた。
ついでに目も閉じれば、鋭敏になる感覚が小さな溜息を拾う。ちらりと薄目を開いたその先、未だフリードリヒの腕に繋がったままの巻き途中になっている包帯を持った姿。
「だいたいお前は無茶をしすぎだと言うことをわかっているのか」
静かな言葉の奥に見え隠れするのは紛れもない怒りと憤り。いちばん近しい双子であるからこそそれが理解できるのであって、端から見れば単なる冷静な説教にしか見えないだろう。
感情を殺しているわけでもなく、表現の仕方がをわからないわけでもない。長い時間を共にしているきょうだいだからこそ理解できるものがある。ただそれだけの話。
「……無茶じゃないだろ」
耳を塞いでいた両手を離し、つい先刻のように向ける。動かしたために傷がまた開き、またうっすらと血を滲ませていた。熱くなるようなものではなく、ずきずきと繰り返されるその痛み。
小さな言葉に包帯を巻き直そうとしていた手が止まった。すぃと上げられる視線とは目を合わせないまま、包帯を巻かれていない側の手のひらを見つめた。
「戦わなけりゃ、生きていられない」
比喩ではなくて、それは事実。
「……だが、戦うことと死にに行くことは違う」
包帯を巻く手の動きが再開される。聞こえた呟きに先程までの憤りも怒りも感じられなかった。ただあったのは、諭すような響きにも似たそれ。
「命を粗末にする必要はない」
くるりと腕を最後の包帯が一巻きすればぽん、と終わりを示すような動作で軽く叩かれた。今度はその動きに痛みを与えるような力などはない。
「……粗末にしてるつもりはないぜ」
「そう見える、と言っている」
視線は向けない。向けられなかった。言葉の通り粗末にしているつもりはないものの、死んでも構わない――そう思っていないと言ったら嘘になる。
腕に巻かれた包帯に手のひらを当てて目を伏せる。ベルンハルトの視線は変わらずフリードリヒを見ていたがそのまますっと逸らされ、手元に広げていた薬の片付けを始めた。
静寂が支配する部屋の中、かちゃかちゃと響く薬の瓶がぶつかり擦れ合う音。目を開いて視線を向ければ薬箱の蓋がぱたりと閉じられ、上げた視線と目があった。
「……その戦い方をやめろとは言わん。ただ、死に急ぐな」
ただ、ゆっくりと。静かに告げられた言葉に目を瞬くフリードリヒの横を薬箱を持ったベルンハルトが通りすぎる。
「……ベル」
扉へと向かうのだろう姿に視線を向けないまま小さな声で幼い頃の呼び名を唇から落とす。足音が止まるが振り返るような衣擦れの音はない。
「悪い」
「……謝る必要はない。今は傷を治せ」
簡潔な言葉に簡潔な返事。ぱたりと扉が閉まり、遠ざかっていく足音。深々と息を吐いて椅子の背もたれに身体を預けた。
傷だらけなどいつものこと。痛みに慣れることはないし、死を怖いと思わないこともない。
それでも、先陣を切るのは。
(死に急ぐな、か)
心のどこかで、それを望んでいるからかもしれない。
それでも結局、この戦い方を変えられない。そしてきっと、ずっと繰り返すんだろう。
2011/09/18 Ren Katase