どんな時でも明るく振る舞うムードメーカー。そんな風に思われていたのがいつなのか、失われた記憶の中からではまだわかりそうにない。
時にからかい、時に笑い。慕われているかは正直な話としてわかりはしないが、雑多な集団であるこんな場所でも全く馴染めない、と言うことにはならずに済んでいるのはおそらく性格の問題だ。
それと同時に、隠すことにも慣れているのもきっと、性格の問題だろう。
「お疲れさま、フリードリヒ、ベルンハルト、ドニタ。ゆっくり休んでちょうだい」
言って少女の姿をした青髪の人形――導き手は自分を片腕に抱えているフリードリヒに降ろすように告げる。それに笑みで答えてその場に片膝をついて降ろせば少女はそのまま踵を返した。
すたすたと屋敷の奥へと歩いていく少女を見送れば、金の髪の少女が赤い服に包まれた細い身体を猫のようにううんと伸ばして息を吐き、それから横に立つふたりを見比べる。
「それじゃ、ワタシは行くわ。また機会があったらヨロシクね」
「あぁ、お疲れさま、ドニタ」
ひらりと手を振りどこか上機嫌に去っていく姿を同じように見送ってからフリードリヒはちらりと横の姿に視線を向ける。
ベルンハルト。失った記憶の底では、この男は確かに自分のきょうだいであって。間違いないとわずか残る記憶が告げている。導き手が彼を連れてきたとき、彼女が彼を紹介する前にこの口は彼の名を呼んでいたのだ。だから間違いではない。……おそらく、は。
『お前はこちらを知っているようだが……生憎だが、覚えていないな』
そう思うからこそ、取り付く島もない物言いにひどく傷つく自分もいるわけで、フリードリヒは自嘲する。記憶を取り戻せばきっと大丈夫、そんな自己暗示にすぎない感覚で自分を慰めるのも最近は慣れてしまった。
「ねぇ、今あいついたでしょう!」
ぼんやりとしていた意識を高い声が引き戻す。金髪のツーテールに青い衣装、腕に抱えた犬のようなそれ。面白くなさそうに形のよい弓形の眉を吊り上げた、まだ幼さを残した少女。
「ドニタのことか。また喧嘩するなよ、シェリ」
「アタシはする気ないわよ! あっちが吹っ掛けてくるの!」
少女は不満げに唇をとがらせる。このふたり――先程姿を消したドニタとこの少女、シェリの喧嘩は日常茶飯事になりつつある。最初こそ誰か彼かが止めに入っていたもの、それが数日も続けば気にもとめない。強いて言えばひとり、獣人の少女が傍でおろおろとしながら見守っているぐらいか。
「はいはい。……で? ドニタのことじゃないんだろ?」
「ん、そうそう。アイザックが探してたわ。手合わせしたいー、って」
探索帰ってきたら捕まえるって言ってた。そう続いた言葉になるほどと頷けば、シェリもそれに頷き返す。わざわざ伝えに来てくれたのは覚悟しろと言うことなのか、逃げろと言うことなのか。相棒である知将がいるにも関わらず暇をもてあました軍犬の相手を少ししたところ、どうやらその手合わせを気に入ったらしい。ただし本気でやりあうのはなかなかに大変ではある。
考えるように視線をさまよわせつつ心の中でほんの少しだけ溜め息をひとつ。そういうのは嫌いではないものの真面目に相手をしないものならあの軍犬は機嫌を損ねる。そうして手合わせと言う名の殺し合いにも発展しかねないのだから加減に困る。しかも探索から帰ってきたばかりだ、こちらが潰されてしまう可能性が低くない。
(殺し合いは遠慮したいぜ)
――そもそも、ここにいる人間は誰一人生きていない世界であると言うのは別にして。
「……フリードリヒには先約がある」
僅かの沈黙の間にそっと滑り込むように落ちてきた声は、ひどく意外な場所からで。聞き覚えのないはずがない声に驚いて眼を瞬きつつ振り向けばそこには佇んでいたベルンハルトの姿で。
「あら、先約?」
シェリがそちらに視線を向けて問えば仏頂面にも見える表情でただこくりと頷く。それに納得したのかそうなの、というように頷き返せばよし、と一度呟いた。
「じゃあアイザックには言っておくわ。じゃあねふたりとも」
さらりと述べてからひらりと手を振り、フリルのスカートを揺らしながら踵を返すシェリにえ、と呟きを漏らす。本当にそのままでいいんだろうか。そう思いはするものの、かつかつと響くヒールの足音は遠ざかっていくので止めることはできず。ちらりと視線を向けた仏頂面にも能面にも見えるその表情から考えは読み取れない。
「……先約なんてないぜ?」
「いいから、こい」
いぶかしみつつ言葉にすればベルンハルトは有無を言わせない口調で告げ、大股で歩き始める。それ以上は言葉にしても無駄と諦めてその半歩後ろを歩きながら懐かしむように目を細めた。そう、昔も。おそらくはこんな風に半歩後ろを歩いていたような記憶がある。
懐かしむような感覚と同時、思い出してもらえていないと言う少々悲しい現実。一刻も早く思い出してもらいたいような、まだ忘れていて欲しいような。そんな複雑な感覚。ここにいる、ということは彼も自分も死んだのだ。……未練を持って。その理由を知りたいような、知りたくないような。そんな心すらある。
すたすたと廊下を歩く姿を追えば、やがてその大柄な身体はひとつの部屋の前で立ち止まる。そこは紛れもなくフリードリヒが普段から使っている部屋の前で。
「ええと……ベルンハルト?」
「いいから入れ」
何がしたいのか。言葉の足りないその動きにただ不思議なものしか感じずに首を傾げる。あまりに簡潔な命令口調すぎて真意を読むことなどできようもない。言われるままに自室に足を踏み入れれば背後で微かに吐息の音が聞こえた。それがまるで安心したかのようにも聞こえたのは気のせいだろうか。
「……表に出していないようだが、疲れているだろう。フリードリヒ。少し眠れ」
言葉を残し、振り返るよりも早く扉が閉まる。
ばたん、と言う音と同時、背にした閉ざされた扉に身体を預けてずるずるとその場に深く座り込む。は、と自嘲する笑い声が漏れた。歩き去っていく足音はどんどん遠ざかって静かになり、やがて訪れるのは静寂。
両の手のひらで目元を隠し、深く深く吐息を落とした。
「……反則、だろ……」
断片的に思い出している記憶の底。
『疲れているのに笑う必要はない。……少し眠れ』
同じ声、同じ響きで自分を気遣う似たような言葉を言われたという微かな記憶。表に出さず隠してしまう自分を気遣うその記憶と一致して。嬉しいことであるはずなのに、相手が思い出していないと言う事実はこれほどまでに苦しいものなのか。
ふらりと立ち上がれば数歩の距離のベッドまでを歩いてからそのまま何も考えずただ倒れるように横になる。深々と溜め息を吐いてからゆっくりと目を閉じた。
――せめて夢の中では、と願いながら。
2011/10/03 Ren Katase