Suicide Syndrome


■00話 【You'll give me unhapiness.】

「メレン!」
 自分を呼ばわる声にメレンは振り返る。青い髪と衣装の裾を翻してぱたぱたと駆けてくる姿に向き直り、深々と臣下の礼をしてから片膝を突いた。立ち止まる少女と視線を合わせ、茶の瞳を柔らかく細めて穏やかな笑みを浮かべる。
「お嬢様。この私に何か御用ですか?」
「……魂がひとつ、見当たらないの」
 少女の言葉に笑みを崩し驚いたように瞬きをひとつ。彼女の役割は未練を残して死んだ戦士の魂を集め、その記憶を取り戻しながら探索を繰り返す。そして炎の聖女たる主の命に従い地上へと侵攻するひとりを導くこと。
 彼女の元には何人もの戦士が集まり、魔女の館と呼ばれるこの屋敷も賑やかになって久しい。また増えるのか、と言う内心の驚きは意識の外へと放り投げて、メレンは不思議そうに首を傾げる。
「……戦士の魂は呼び出された後に一度カードへと封じられますが……それはブラウが行うのではありませんでしたか?」
 メレンと同じように主の命に従い少女に仕えるアコライトの青年を思い返しながら問いかける。少女は珍しくもどこか不満げに唇を尖らせながら紅い瞳をメレンから逸らした。
「……ブラウが失敗したの」
「なるほど」
 呼び出されれば即座にカードに封じられ、そのカードを失わぬ限り彼らは『生き続ける』。喪われることはない。それがこの世界。……即座であるはずなのに、失敗することなどあるのだろうか、などという疑問はとりあえず考えないようにして棚の上。少女の言葉に頷きながら立ち上がり、ゆるりと頭を下げる。自分を見上げてくるどこか不安げにも見える眼差しににこりと笑みを返した。
「このメレンにお任せを、お嬢様」
「ありがとう、メレン」
 少女はほっとしたように笑みを浮かべてから自分も外へと向かおうとする。焦りがそうさせるのだろうか、供も連れずに外へと行こうとする背中にお嬢様、と声をかける。メレンの声に素直に足を止めた少女はどこか困ったような焦ったような複雑な表情で振り返った。
「お一人では危険です。周囲の妖魔は弱いものではありますが、どうぞ供をお連れください」
「あ……そうね。ごめんなさい、メレン」
 メレンの言葉にはっと思い出したように従った少女は向きを変え、ぱたぱたと屋敷の奥へと駆けていく。お気に入りなのだろう双子の剣士の元へと向かう後ろ姿を見ながらふうと小さく息を吐いた。
 人形のような姿である少女はここ最近でずいぶんと『ひと』らしくなったと考え、それから僅かに自嘲するように口元を歪めた。この妖魔が蔓延る上に誰一人――無論自分すらを含めて誰も彼も『生きていない』世界で、『ひと』と言うのは誰を指すのだろうか。
「お嬢様、私は北に参ります。お嬢様はお二人を連れて南へと向かってください」
「わかったわ」
 そんな一瞬の考えを投げ捨てて声をかける。頷いた少女が供の二人を連れて扉から外へと出ていくのを見送り、さて、とメレンは唇から微かに言葉を落とす。ゆっくりと歩き出しながらその後を追うように外へと足を進めた。
 そもそも召喚されたのは『戦士』の魂であるからして、この魔女の館と呼ばれる建物の周囲に存在する下級妖魔に倒される程度では、例え記憶を取り戻すと同時に生前の力を取り戻して強くなるとしてもさらに先の地域などではお話にならない。メレンはそう考えて溜息をひとつ。だからこそ、あれほどまでに焦る必要はないのだと思っているが……少なくとも少女とメレンの認識では違うのだろう。
(……まぁ)
 本当に失敗したにしろ、手違いや間違いにしろ。魂を逃した非は紛れもなくそれを行なったブラウにある。こうしてメレンやあの双子の剣士も駆り出され、少女を困らせたのだから。
(説教だけで許してあげましょうか)
 勿論、そう説教だからと言って簡単には逃がしはしないし許しもしないつもりでいる。少女を困らせた罪と言うのはきっとブラウが思うよりもメレンにとっては重い。メレンにとって、彼らが仕えるべき炎の聖女、そしてその『子供』のような存在である少女――導き手と言うのは絶対の存在。そして彼女に対しての無礼はまごうことなき罪である。ただそれだけの話だ。
 がさり、と不意に音がしてメレンは立ち止まる。視線を巡らせて周囲を見渡し、手の中にカードを用意する。妖魔と戦うことを余儀なくされる導き手に仕えるアコライトであるからこそ、戦う術は持ち合わせている。この辺りに現れる妖魔ごときは相手にならない程度の力は有しているつもりだが。
 ……ただ、妖魔ならば何もせずともかかってくるはず。
「……そこにどなたか、おられますか?」
 静かに問い掛ける。気配は確かにそこにあるのだから、そこに『何か』は存在しているのは確かだ。音を鳴らした茂みへと向きを変え、ゆっくりとカードを構えればひゅ、と空気を何かが切り裂くような音が聞こえた。
 飛来したそれをかろうじて避ければ頬に走る僅かな痛みを伴う熱くなる感触と、頬を伝う血のそれ。反射的に投げつけたカードは相手に当たったのか否か。手袋が汚れるのも構わず頬をぬぐい、すぅと目を細めた。
「相手が誰かも確かめずにワイヤーで攻撃ですか……ずいぶんと躾の出来ていない方ですね」
「……化け物に臆する必要はない」
 聞こえたのは声。やはりどうやら彼女たちが『逃がしてしまった』戦士の魂、それが仮初めの肉体を持った姿だと言うことは理解できた。
(……さて、どうしましょうね)
 相手を見ずに妖魔だと思いながら攻撃をして来た時点で、おそらく話し合いの方向性は見込めない。そうなると。
(実力行使でお連れしましょうか)
 まがりなりにも声の主はこの世界に召喚された戦士の魂。その存在は自らの主人の客人にも等しい。本来ならば丁重に扱うべき存在ではあるが。
「言うに事欠いて私を妖魔扱いとは……手荒な真似は好みませんが、致し方ありませんね」
 メレンの声に、声の主が警戒したような気配を示した気がした。ぱらりと手元からカードを落とす。息を飲むような気配と共にひゅ、と空を切り再度放たれるワイヤーがこめかみを掠める痛みを感じながらそのワイヤーの先に手を伸ばした。
 気配の先へと一歩足を進める。距離を詰め、指先が触れたのは恐らく首だ。木を背後にしていたらしい声の主を幹に縫い止めるようにその首を掴み押し付ける。がっ、と小さく息が漏れた。
 抗おうとした右腕を掴む。ワイヤーが発射されたのはどうやらこの機械仕掛けの右腕らしい。義手なのか単なる装備であるのか、見ただけではわかりそうにもない。
「っ、離せ、この野蛮人が……っ」
 喉を押さえ付けられているからだろう苦しげな声が吐息混じりに落ちる。浅黒い肌に灰を混ぜた銀と言うには暗い色をした髪。苦しげに寄せられた眉の下、切れ長の赤い瞳の目尻に薄く履かれた朱が印象的な青年だった。
「妖魔扱いの次は野蛮人と来ましたか。……本当に、躾のなっていない方だ」
 やれやれと吐息を落としながら首に触れた手に僅かに力を込めた。ぐ、とくぐもった声が漏れる。
 喉や首と言うのは人間を含む動物の急所。そこに触れられていると言うことは生殺与奪権を握られていると言っても過言ではない。青年もそれを理解しているのか、髪に隠れていない右目だけで睨み付けるような視線を浮かべたままでいる。
「貴方を連れ戻すのはとても不本意ですが……連れ戻さねばお嬢様が悲しまれますからね」
 何を。そう言おうとしたのだろう青年の言葉はそれ以上声にはならなかった。青年の右手を捕らえていたメレンの左手が離れ、すぐさまその鳩尾に拳を叩き込んだからだった。
 あっさりと意識を手放した身体が立っていられるはずもなく、メレンが手を離せばずるずるとその場に力無く倒れ込む。ぱんぱんと軽く手の埃を払ってから青年の細身の身体を軽々と肩の上に抱え上げた。
 まずはこの青年を屋敷に連れ帰り、ブラウに確認してもらってから導き手の少女を迎えに行くべきだろう。無論、青年に見張りをつけることも忘れることはできない。この細身であるからして、腕力だけならおそらく屋敷に残る戦士たちだけでも十分太刀打ちできる。考えを巡らせながらメレンは頷く。
(……それにしても)
 抱えたまま足をふと止めた。先程青年のワイヤーが切り裂いた頬に触れる。死ぬことのない身体、流れていた血はあっさりと止まっているようで、今は徐々に塞がりつつあることだろう。
(……)
 ざわりと、心の中で何かが波打ったような気がした。その正体に気づけないまま小さく笑みを浮かべてまたメレンは館に向けて歩き出す。思い出すのは、その瞳。
(……楽しくなりそうですね)
 何がだろうか。自分でも何故そう思うのかわからないまま、メレンは館へと戻って行った。



2012/01/29 Ren Katase