Suicide Syndrome


■01話 【おわりのはじまり】

 自らが気絶させた青年の目覚めを待ちながらメレンは小さく溜め息をつく。あの後青年をブラウに預けて少女に報告し、さらに館に戻ってきてもなお気を失った青年が起きる気配はまだない。そんなに手荒な真似をしたような記憶もないのだが。
 導き手たる少女にはやりすぎだと拗ねられ、ブラウはメレンに青年の様子を伝えてすぐに別の仕事へと走っていった。さすがに自分の招いた事態に戦士たちを巻き込むわけにも行かず、こうしてメレンが目覚めを待つことになったと言うこの現状。
 小さな溜め息をひとつ吐いて、視線を眠り続ける青年に向ける。短い灰の髪と閉ざされた瞼。静かな呼吸を繰り返す口元。戦士と言う言葉から想像するにはあまりにも細く頼りない見た目ではあるが、今この館にいる戦士たちの中でも小さな見た目に反して爆発的な力を持った子供もいる。軽率な判断はできそうにない。
「メレン、サルガドは起きた?」
 小さなノックと共にかちゃり、と扉が開くと同時、窺うような少女の声が響く。座っていた椅子からさっと立ち上がり緩やかに一礼すれば、言葉にしないまま示すように横たわる青年に視線を向けた。
「……サルガド、と言う名なのですか?」
「えぇ、そのようね」
 そういえば名乗りもせず、名前を聞くこともなかったと思い出す。そもそもそう言う状況になかったと言えばそれまでだ。おかげで第一印象はすこぶる悪いが、それは青年――サルガドも同じことだろう。
 サルガド。口の中で音にしないままその名前を確かめるように繰り返す。本人が名乗らないまま名前が知れたのは、おそらくカードに封じた際に得られた情報なのだろう。ブラウに任せた時に終わらせたのか、とメレンは納得する。
「……申し訳ありません、お嬢様」
 小さく謝罪の言葉を口にすれば、紅い瞳がメレンを見上げた。硝子玉の瞳がじっと見つめ、それからゆるりと青い髪を揺らして首を振った。
「気にしないで。メレンが見つけてくれなかったら、取り返しがつかなかったかもしれないもの」
「はい」
 少女の言葉に僅かに安心して微笑む。元々誰かを咎めるようなことをする少女でないことは理解しているが、それでも改めて許しの言葉を得るのは安心するものだ。
「……っ、」
 不意に聞こえた自分たちのものではない声に少女と同時に振り返る。横たわるサルガドの目がうっすらと開き、少女とメレンを交互にその瞳に写せば、メレンと視線を合わせてからがばっと跳ね起きる。
「貴様……! っ!」
 メレンに食って掛かろうとしたのだろうが、まだ鳩尾の痛みが残っているのかそのまま細い身体を折って小さく呻く。その姿を見下ろしたまま動かないメレンの前で、少女はサルガドが座るベッドへと近づいてその足元に膝をついた。
「サルガド」
「……貴様、何者だ……何故私を知っている」
 苦しげな声と共に吐き出される言葉。睨み付けるような表情に物怖じする様子もなく少女はじっとサルガドを見上げる。サルガド、ともう一度小さな声で名前を呼んだ。少女はサルガドを見上げたまま、静かな声で説明を始める。この世界のこと、与えられた役割のこと。
「……」
 痛みも落ち着いたのかじっと少女の説明を聞いているサルガドの表情は険しく、眉間の皺が深く刻まれていた。
「……理解、できたかしら」
 説明を終えた少女が可愛らしく首を傾げる。しばし考えるようにしていたサルガドが小さく吐息を落とし、そうかと囁くように言葉にした。
「記憶がないことも、ここにいる理由も理解はできた。……だが」
 一度言葉を切った。じろりと切れ長の瞳が少女を見、それからメレンを見る。視線だけで射殺そうとするかのような、鋭い視線。
「貴様らに従う謂われはない」
「……断れば貴方はこの世界で生きられない。それでも?」
「どこの誰とも知らない野蛮人に従うよりはマシだ」
「……そう」
 完全に拒絶の意思を見せるサルガドに少女は普段からあまり変化のない顔に落胆の表情を浮かべる。
「でも、少し考えてみて」
 少女は立ち上がり、言いながら踵を返す。メレンの前を通って部屋を出ていく姿を見送って、閉じられた扉と遠ざかる足音を感覚の端に残しながらメレンは視線を身を起こしたままのサルガドに向けた。
 サルガドと一瞬だけ視線が絡む。怒りか憤りかそれとも。少なくともそのどちらとも取れるような感情を宿した紅い瞳はメレンを見据えていた。
「……お嬢様の言葉に賛同いただけないのは残念ですよ」
 小さく、口を開いた。ゆっくりと歩を進め、ベッドのすぐ傍らに立って彼を見下ろす。身構えるような仕草は、気絶する寸前の対峙を思い出したからだろうか。
 自分だけならばまだしも、自らが仕える少女に対しての暴言は許しがたい。……例えそれが、召喚された戦士であったとしても。否、それが誰であろうとも、だ。
「ふん。貴様らのような野蛮人に従うなどごめんだ」
「……」
 ふつり、と腹の奥で煮え立つような何かを感じた。何が理由かなどわかっている。わかっているからこそ、同時に無意識に左手が振り上がる。指が揃えられた手のひらがひゅ、と風を切る音が耳に残る。
 そうしてぱん!と響く乾いた音と手のひらに残る感触、それから数秒の静寂。
「……貴様、何のつもりだ……!」
 いきなり頬を打たれたことに思考が追い付かなかったのか、呆然としていたサルガドが我に返り、怒りのままにメレンに食って掛かるように手を伸ばそうとする。殴りかかるような仕草にも見えたそれは、ベッドの上に上体を起こしただけのサルガドから横に立っているメレンに対してするにはあまりにも歩が悪かった。
 その殴ろうとするかのような腕を、足を半歩引いて半身でかわしてから掴む。握り締めれば折れるのではないか。そんな印象すら与えるような細い腕に戸惑いのような何かを感じるもそれはほんの一瞬で。
 捻り上げるように捕まえて、逆の手はサルガドの肩を押さえるように触れてベッドへと縫い留める。ベッドに座るだけの不安定な体勢は勢いのままにその痩躯をシーツに沈めた。
「っ、」
 肩を打ちでもしたのだろうか、ぎゅっと眉を寄せて痛みを耐える様子を見下ろして笑う。サルガドの身体を掴んだ両の手のひらに僅かに力を込めた。メレンの下で暴れようとする身体は肩と腕からの痛みでか動きを緩める。
「……お嬢様を愚弄することも、逆らうこともさせません。貴方に選択肢などないのですよ」
 選択肢など、与えはしない。普段から柔和な印象を与えるメレンの笑みが僅かに酷薄なものに変わる。見上げてくる視線を絡めてその口が開こうとした瞬間にまた力を込めて言葉を封じた。
「従わないならば、力ずくでも従っていただきます。先ほどのようにね」
 見下ろしてメレンの視線の先。眉間に皺を寄せて歯噛みする様子なのは痛みからなのか悔しさからなのか。メレンにはわかりそうにない。
「誰、が……っ」
 その口から漏れるのはあくまでも否定の言葉で。すぅと目を細めて肩を掴んだ手のひらに力を込め、ぎりりと爪をきつくたてる。唇から漏れた小さな呻き声に僅かに笑みが浮かんだ。
 さらに力を込めようとした瞬間、遠くから聞こえる足音にふっと意識を取られた。手に込めた力が緩み、反撃しようとしたサルガドの手のひらがまるで猫の爪のように頬を掠める。
「サルガド!」
 押さえつけていた手を離して一歩離れるのと、導き手の少女とは違う高い声がサルガドの名前を呼びながら扉が開くのとはほぼ同時だった。
「レッドグレイヴ様……!」
 サルガドの声に僅かに喜びのような安堵のような色が混ざる。ちりりと脳裏を何かの感覚が触れるような、複雑な感情を抱きながらやれやれと息を吐いた。
 現れた茶の髪をした少女には見覚えがあった。背中に流した長い髪、人間ならば耳のある位置には機械のような何か。後ろが大きく開いた服から見えるのは確かに人間の背だが、その足元、膝の辺りは機械そのもの。レッドグレイヴ、と言っただろうか。最近呼び出された戦士の一人だった。
(なるほど、知り合いですか)
 納得すると共にレッドグレイヴが振り返る。さほど離れてはいない距離を詰め、メレンを見上げてくる瞳に穏やかに笑い返した。
「その頬の傷、サルガドがやったものだな? 部下の不始末は余の不始末。慎んで詫びよう」
「レッドグレイヴ様!」
 メレンの頬の傷に指先を触れさせ、言ってから頭を下げるレッドグレイヴとは対照的に色を無くして声をあげるサルガド。ちらりとサルガドに視線を向ければ不機嫌さを隠す様子もなくただただ射殺さんとするような剣幕すら変わらないその視線。
「いいえ。私が彼を怒らせてしまっただけですので」
「ならばいいのだが。……導き手もすまなかったな。サルガドについては余に任せておくがよいぞ。悪いようにはせん」
 首を振るメレンに頷いてから、彼女は部屋の入り口に佇んでいた導き手の少女に声をかけた。メレンもそちらに視線を向ければ、少女が安心したように微笑んでいる姿が見えた。
 サルガドの話を他の戦士たちにしていたら、直属の上司が先に戦士として存在していた。……そんなところだろうか、とメレンは考える。これで力ずくでなくとも問題はなさそうだ、と意識に乗せてから一瞬だけ残念に思う自分に気づいて目を瞬いた。
「メレンと言ったか。詫びの証になるかは知らぬが、何かあったら余かサルガドに申せ。多少なりとも手伝えよう。導き手もだぞ」
「ありがとうございます」
 声をかけられて一瞬浮かんだ意識は掻き消える。素直に例を述べながら難しい表情をしたままの姿に僅かに笑みを浮かべて見せた。端正な顔の中、寄せられた眉間の皺が深くなる。
「それでは、失礼いたします。あとはお任せしましょう、お嬢様」
「そうね、メレン」
 つもる話もあるだろうと少女を促し二人に背を向ける。ぱたん、とそのまま静かに扉が閉まった。



2012/02/08 Ren Katase