レッドグレイヴの説得によってサルガドが戦士の一員として魔女の館で過ごすようになってから数日。導き手の少女はサルガドを気に入ったのか、何度か彼を他の戦士たちと共に探索へと連れ出すのをよく目にするようになった。
テーブルに頬杖をついたままメレンは探索から戻ってきたらしい少女と、その後ろに付いている姿を眺めて目を細める。ざわざわと心がざわめくような感覚。確かにこうだと言うものではないが、この感覚に関して強いて言えば。
(……気にくわない)
よく考えれば、あの失礼な男から謝罪の言葉を聞いていないことを思い出す。ただ普通にそれを要求したところで素直に口にするかと言えば答えはおそらく、いや、間違いなく否だ。
無意識に眉間に皺が寄る。少女に対しての無礼を許せるほどメレンの心が広いということはまずないし、それを何より本人が理解しているのだから質が悪い。
「……どうしましたか、メレン」
「あぁ、ブラウ」
かけられた声にメレンは我に返り、自分を見る姿に僅かに笑みを見せる。手持ちぶさたかつ手慰みに遊んでいたカードをまとめ、手の中からさっとそのカードの姿を消す。カードマジシャンと言われるメレンの特技のようなものだった。
手慣れた仕草でブラウはメレンの前へと紅茶の入ったカップを置き、同じように外へと視線を向ける。もちろんそこにはもう誰一人姿があるはずもなく。
「何かありましたか?」
「いいえ。お嬢様が探索からお戻りになっただけですよ」
見えたものを素直に説明しながら紅茶に口をつける。元々彼らアコライトにしろ導き手の少女にしろ、飲食は必要としない。それでもその『フリ』をするのは、戦士たちが『ひと』であったことを忘れないためだとか、死者が集うといっても飲食は必要だったりとか、アコライトたちに至っては本人たちの興味と好奇心の一環だとか。そんな安易な理由。
納得したのかメレンにだけ届くほどの声でなるほどと頷いたブラウは一度メレンを見てから部屋の外へと足を向ける。
「それなら、お嬢様たちにもお茶を振る舞いましょうか。メレンも来ますか?」
「私は遠慮しておきますよ。どうやら嫌われているようですから」
誰に誰が、とはあえて口にしないまでも、先日の騒ぎの後だからかブラウには簡単に理解できたらしい。納得したような思い出したような、苦笑いにも似た複雑な表情で乾いた笑いを浮かべて見せた。
「……メレンは意外と手荒ですから」
「何か問題でも?」
「……いいえ」
だから嫌われるのでは、とそう言いたかったのだろうブラウの言葉はあっさりと一蹴してからもう一口紅茶を喉に流し込む。あの場合は手荒に扱わなければ大人しく従わなかっただろうことは、メレンが説明せずともブラウにはわかっているはずだった。
「……後でゆっくり、話をしましょうかね」
ぽつり、呟いた言葉はブラウには届かず、ただ紅茶に落ちるように消えていった。
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「……貴様が私に何の用だ」
呼び止めたサルガドの第一声にメレンは表情は変えないまでも肩を落とすかのように溜め息ををひとつ。あからさまな警戒の様子を隠しもしない、これでよく敵を作らずにいたものだ。それとも生前は敵だらけだったのか。結局のところ答えが出るはずもないそんな考えを持ちながら数歩離れた距離のサルガドに対して笑みを見せた。
「用など、作る気はなかったのですが」
無意識に溜め息を混ぜ、さらに不満げになった声にサルガドは露骨に嫌悪感をその端正な顔に浮かべる。ふいと目を逸らして背を向けようとする姿に気付いて距離を一歩詰めた。
「……謝罪をいただいていないのですよ」
「謝罪?」
振り返る赤い瞳。心当たりがない、と言うような怪訝そうな表情にメレンは僅かに感じた苛立ちを抑えるように緩く手のひらを握り込む。覚えているのかいないのか。それとも彼の中では無関心なだけか。おそらく後者だろうことは容易に想像がつく。
「えぇ。私はともかく、お嬢様に対して野蛮人などと罵ったこと、謝罪していただきたいのですよ」
「……必要はない。私が貴様らに力を貸すのはレッドグレイヴ様のご意向であって、私の意志ではない」
取り付く島もなく告げられるのは否定の声。すぅと不機嫌そうに目を細めたことに、サルガドは気づいたかどうか。そのまま踵を返そうとするその腕を捕まえれば、動きを阻まれて驚いたような不機嫌な表情がメレンを見た。
無言のまま見つめ合うこと数秒。振り払おうとする腕を逃がすまいとするように力を込める。思ったよりも力が入ったのか、サルガドが痛みにか表情を僅か歪めながら再度腕を引いた。
「離せ」
「……お断りします」
うっすらと心の奥底に感じるどす黒い感情に何と名付ければよいだろうか。簡潔な言葉に同じように簡潔な否定を返し、握る手にさらに力を込める。掴み、逃がさないようにするものではなく、明確に痛みを与えるために。
歪む表情は痛みにか、それとも嫌悪感か。どちらにしろ、力を緩める気にはなれなかった。逃がさない、と言う気もなかったわけではない。
むしろ、それよりも。
(……)
この今の事態にあまりにもそぐわない単語が頭をよぎり、一瞬だけ意識が外を向いたことで手の力が緩んだ。ぐいと引き剥がされ振り払われ、手の中から骨張った細い感触が消え失せる。その感覚に瞬けば、目の前の彼は手首の具合を確かめるかのように触れながら吐息を落とした。
「野蛮人は力の加減も知らないと見える」
溜め息と共に吐き出されるのは嘲笑混じりの侮蔑の言葉。相当痛んだらしい手首を緩くさすり、振りながらちらりとだけ視線を向ける様子に苛立ちが募った。
その苛立ちと足が出るのはほぼ同時だった。メレンが振り上げた足を先ほどまで捕まれていた腕で咄嗟に防御しようとしたのだろうが一瞬遅く、蹴り上げた足はサルガドの腰の辺りに当たる。
小さな呻き声と共にバランスを崩した痩躯に間髪入れずに腹に二撃目を加えれば、勢いを殺せないまま床にうつ伏せに倒れ込んだ。僅かに咳き込みながら身体を庇い、即座に立ち上がろうとするその手の甲を靴を履いたままの足でぐっと踏みつければ、立ち上がる術を失ったサルガドが見上げる視線を向けてくる。
「口のきき方に気を付けることです」
静かに言葉にすれば、メレンを見上げる視線に怒りが混ざる。踏んでいる足をはねのけようとする腕の動きを靴の裏で感じれば、手の甲を踏む力に力を込めた。
「貴様……っ」
「逆らうことなどさせません。……そう言ったはずですよ」
みしり、と音がしたような気がした。このまま踏み潰してしまおうか。ふとそんな考えが脳裏をよぎったが、それを緩く頭を振ることで追いやってから踏みつけた足をゆっくりと離す。
手が離れると同時に猫のようなしなやかな身のこなしで立ち上がって距離を取る。今にも獲物であるワイヤーを引き出しでもしそうだが、ここは魔女の館。戦いはできないように力を抑える効力があることを戦士たちは知っている。物言いたげではあるもののそれ以上は口にせず、睨み付ける視線だけは変わらないままで。
「逆らうのならば、それを倍にしてお返ししますよ。……今のようにね」
「たかだかあの小娘ひとりを愚弄しただけで、随分な態度だな。よほどあの小娘が大事と見える」
暴力を振るわれてなお変わらない嘲笑混じりの言葉に、咄嗟に反応ができずにメレンは黙り込む。その沈黙を肯定とでも捉えたのか、不機嫌そうに小さく息を吐いたサルガドがふいと背中を向けた。
それを追うことも止めることもせず、ただ立ち尽くすメレンはふと自分の手のひらに視線を落とす。
確かに、主である炎の聖女の娘のような存在となる導き手の少女は何より大切な方だ。彼女に対して無礼な振る舞いをしたサルガドに対しての怒りはもちろんないはずがない。むしろ、だからこそ謝罪を強要したのだ。
(……?)
ただ、何かが引っ掛かる。
それだけではない、と心のどこかが言っている気がした。ふと思い出すのは、先ほどまでサルガドの腕を逃がすまいとつかんでいた時の感覚。緩く手のひらを握り、開く。女の柔らかさはない、男らしく骨張った、だけどもひどく細い腕を思い出す。この魔女の館に住まう戦士たちの中でも、頼りなく見えるほどに細いそれ。
(……あの時、感じたのは)
怒りでも苛立ちでもない。ふと思い出したように視線を上げればサルガドの後ろ姿はもう見えなくなっていた。メレンひとりしか存在しない空間は風の音もなくただ静寂だけが支配していて、それが逆に冷静さを取り戻させる。
冷静に思考を巡らせる。つい先刻、自分は何を思い、何を考え、何を感じたかを思い出すように手のひらを握りしめる動作を繰り返す。その手を唇に触れさせ、行き当たった単語にふと笑みが漏れた。
(……あぁ。そうか)
それはとても単純かつ簡単なことだったと、気づいてしまえばひどく明確だ。あの時も、今も。考え付いた結論はたったひとつの単語。
「……メレン?」
かけられた声に思考は中断され、自分を呼ばわる声に振り返って深々と礼をひとつ。そこに立っていたのは導き手の少女で、大きな硝子球のような瞳がじっとメレンを見上げていた。
「これは、お嬢様。何か御用でしたか?」
「違うわ、ありがとう。……ただね。通りかかったらメレンがとても機嫌の良さそうな表情をしていたから」
何かあったのかしらって。そう言葉を続ける少女のそれに目を瞬き、それからやんわりと柔らかく頬を緩めた。
「えぇ、良いことがありましたので」
「そう。メレンが機嫌が良いのは嬉しいわ」
また後で、と軽く手を振りながら姿を消す少女を見送り、自分の口元に手を触れさせる。機嫌が良さそうな顔をしていた。無意識に、無自覚にしていたその表情。心当たりは、つい先ほど辿り着いた、単純明解な思考の先。
憎々しげに見上げる視線が。痛みを堪えながら睨み付ける視線が、その表情が。
(――何よりも)
愉しい。
まるでそれは子供が新しい玩具を手に入れたときのような、そんな表情をしていた。
2012/02/18 Ren Katase