Suicide Syndrome


■幕間

『逆らうことなどさせません』
 第一印象はすこぶる最悪。
 出会い頭に不意打ちとはいえ鳩尾を殴られ気絶させられ、否定すればベッドに押し付けられ脅され、挙げ句の果てには謝罪しろと骨が軋むほどに腕を握られた。
 自分が悪いと言われればそれまでだが、最初はともかく他の要因で自分が悪いようには思えない。眉間に皺を寄せたまま深く溜め息をひとつ。
(……あれが侍従など、レッドグレイヴ様の指示でなければ、あんな男)
 あの柔和な笑みに隠された一瞬の酷薄な表情を思い出してぎり、と唇を噛む。仕える相手だというあの小さな少女の人形はあの男の本性を知っているのかいないのか。少なくとも遠目に見る限り、まるでサルガドだけが別の人間を見ているかのようにすら思えるようにあの男――メレンはひどく柔和で、誰に対しても穏やかに優しく振る舞う人間でいた。
(……)
 つい先日握られた手首を見やる。浅黒い肌に浮かぶ、人の手のカタチについた鬱血したことでついた赤い痕。握り締められた際の痛みは未だに残っていて動かすたびにじりじりとした痛みを伴う。溜め息についで吐き出す小さな舌打ち。
 どれだけの力で握られたのか、時間が経過しているにも関わらずいまだに痛みが残るのは、あの優男風の見た目に関わらず思うよりもずいぶんと力があるらしい。
『サルガド、お前も彼らに力を貸してやってくれ』
 記憶こそまだ戻りきらないものの、レッドグレイヴが自分の直属の上司にあたることは名を呼ばれたことで即座に思い出せた。そしてその上司が言うことなのだからサルガドが従わないわけにはいかず。どうにもならないまま苛々する感覚を持て余すようにぐっと拳を握り込んで堪える。
「サルガド」
 ぐるぐると考え込んでいた思考を自分を呼ぶ高い声に遮られて振り返る。視線の先、不思議そうな表情を浮かべているレッドグレイヴの姿があった。姿勢を正して頭を下げればかつかつとヒールの音を鳴らして近づいてくる小さな姿。正面で立ち止まる音と共に握り込んでいた掌を取られて顔を上げた。
「力を込めすぎたか? 血が出ているぞ」
「……申し訳ありません」
 掌にうっすらと滲む赤い血。爪の先に赤く付着した血液が自分の握り締めた力の強さを物語る。その傷に気付けばちりちりと痛みを感じ始めてしまう。呟くように口にした謝罪の言葉にレッドグレイヴが顔を上げ、僅かに困ったような表情で笑った。
「そこは謝るところではあるまい」
 気にするな、とでも言うように言葉にする姿に目線を下げる。握り締めた側ではなく下げたままの左手、その手首が一瞬見えて一度は落ち着いた苛立ちが心の奥底から沸き上がってきて、ぐっと唇を噛んだ。
 ふと目線を上げればレッドグレイヴと視線が合い、振り払うようにふるりと緩く首を振る。握りしめそうになった掌を意識的に抑えて自分を落ち着かせるように深く息を吐いた。
「……すまぬな。あの導き手の話を信用するならば、従っておくにこしたことはないのだ」
「いえ、レッドグレイヴ様の意向であるならば」
 あの導き手と名乗った少女の言葉の、どこまでが本当なのか。おそらくレッドグレイヴにもサルガドにも――それより前に来たという『戦士たち』にもわかりはしないだろう。この世界のことすらわからないし、そもそも記憶がないのだから疑ってかかればきりがない。サルガドにとっては数少なく思い出した確かな存在であるレッドグレイヴの存在が頼りとなっていた。
 ただ、目上であるが故に何が言えると言うわけでもないが。他にも知り合いと呼べるものはいるものの、意思疏通には向かないような輩であって。どちらかと言わずとも思い出す人間には敵が多い。
「そういえば」
「はい?」
「あの、メレンと言ったか。サルガドに用があると言っていたぞ」
 メレン。その名前に無意識に眉間の皺が深くなる。自分に対して暴力的な行為を繰り返す男の名を忘れるはずも覚えないはずもない。どう贔屓目に見てもろくな用ではなさそうなのはわかりやすすぎていっそ苦虫を噛み潰したような顔しかできそうにない。
 また謝罪しろと言われるのか、それともその他のことか。どちらにしろあんなことがあった後では、警戒してしまうのは仕方のない話。
「……奴は、何と?」
「余も、用事があると言伝てを頼まれただけにすぎぬのでな」
 見た目通りの少女らしい動きで首を傾げ、レッドグレイヴは言葉にする。探しておったのだ、と何がそうさせるのか、機嫌良さげに言われれば嫌だと否定もできずに黙り込む。
「……奴のところに行けばよろしいのですね?」
「部屋に居ると言っていたな」
「わかりました」
 失礼いたします、と頭を下げる。望む望まざるに関わらず、言伝てとはいえ上の言葉では従わないわけにいかない。内心の苛々を抑えながらレッドグレイヴに背中を向け、メレンの部屋があるのだろう方向にまずは足を向けることにした。



2012/02/28 Ren Katase