アコライトと言うのは、そもそも『炎の聖女』に仕える侍従である。主はあくまでも『炎の聖女』であり、導き手と呼ばれ称される少女はその娘のような存在であるため、アコライトたちにとって導き手に従うことは聖女に仕えることと同義。
彼らは『炎の聖女』直属の存在であり、戦士たちのようにカードを媒介に存在するのではなく、そのままの姿でそこにあることができる。ひととしての姿を持つものが一握りの妖魔や戦士たちというこの世界では稀有な存在とも言える。
「……まぁ、つまりはお嬢様が生み出されるより前から、僕たちは聖女様にお仕えしておりますので。これでも僕たちは長生きしているのですよ」
椅子に腰掛けて足をぶらつかせる導き手の少女と機械と人間を掛け合わせたような姿をした少女へとブラウは説明する。その手には既に恒例となりつつある紅茶のポットが携えられていた。淹れてもらった紅茶を飲みながらふむ、とレッドグレイヴは小さく声を漏らす。
アコライトへの疑問を口にしたのはレッドグレイヴであって、機械の足を所在なげに軽く揺らしながらなるほど、とでも言うように頷いて見せる。
「つまり、あのメレンと言う者もそうか。見た目によらんな」
「メレンは、もしかしたら僕よりも年上かもしれませんよ」
見た目によらないのはブラウやルートも同じこと。ここ数日妙に楽しげな印象を伺わせる同僚とも同胞とも付かない同じアコライトの青年を思い返しながらブラウは笑いながら口にする。
愛想笑いや猫被りという他人に対する態度こそきちんと心得ているものの、メレンと言う男はブラウが知る限りでは子供のような精神が抜けきらない人格を有している。それだからこそ、逆らうものに対して詰め寄り、反発されるのだと言うことがままある。そしてそれをさらに上から押さえつける行為もゼロではない。さらに本人がそれを理解しているからこそ質が悪い。無論、それを口にした日には何倍という返しが待っているのだから、それに触れるほどブラウも馬鹿ではなかった。
「長く生きていると、大変ではないのか? 余もその様な記憶がある」
「大変ではないとは言いませんが……少なくとも、退屈になることはありますよ」
疑問を口にするレッドグレイヴに答えつつ、無言で差し出される導き手の少女のカップに紅茶を注ぐ。失われている記憶の片隅に思い出すものがあるのだろうかその表情は固い。それに対しさらりと答えるブラウの言葉にほう、と呟くレッドグレイヴの声に僅かな興味のような何かが感じられた。
「退屈は人を殺せると申しますしね。僕などはこうしてお嬢様や戦士様たちのお世話をさせていただいておりますので」
言葉を続けながら示すように軽く紅茶のポットを差し出して見せる。その仕草とカップの中を見比べたレッドグレイヴが意図に気づいて差し出したカップに琥珀色の紅茶を注ぎながら軽く肩を竦めて見せた。
「娯楽に飢えると、そういうことか」
納得したようにレッドグレイヴが頷き一口喉に流し入れてからカップを下ろす。かちゃりと金属の触れ合う音と言葉とが重なればブラウがその通りとでも言うように頷いた。
「娯楽だけとは限りませんが、だからこそ、退屈をまぎらわせる『何か』があるとなかなか手離せないものなのですよ。僕たちと言う存在は」
我がことながらまるで子供のようですよね。そう言葉を続け、アコライトの青年は困ったような笑みを浮かべた。
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恐怖によって人間を従わせると言うことは出来るか否か。できると言う人間もいるだろうし、できないと言う人間もいる。当たり前の話だ。メレンはどうかと問われれば前者にあたる。
ただ、そこには従わさせられた人間の鬱憤やストレスが過剰に溜まることでの反乱や反抗があると言う点において、非常に危ういとも言えるかもしれない。
メレンが目にした本の中では恐怖によって人民を従えた王が民の反乱にあい命を落とす様子までが記されていたのを思い出す。どこまでが事実か、どこまでが虚構か。そんなことはあまり問題にはならない。
一対多であれば完全に従わせることは難しいのかもしれないが、これが多対一であったり、明確な力関係があった上での一対一であったりしたら? 実際にはどうなるだろうか。
小さく聞こえた衣擦れの音にふっと意識を戻し、視線を向ける。床に身を横たえた姿を見下ろしながらメレンは酷薄に笑った。肩を足蹴にして仰向けにさせれば、歯噛みする様子とその目に宿るまだ抵抗しようとする意思。せめてもの抵抗なのか苦痛の表情は浮かべるものの、声だけは聞こえずにいた。
「……強情な方ですね」
やれやれと肩を竦める。肩に置いた足に力を込めて踏みつければぐ、とくぐもった声が漏れた。そのまま肩を床に押し付ければ、ゆるり、上がった腕がメレンの足を掴む。体重をかければあの時踏みつけた手の甲と同じように、靴の底から足へと骨が軋むような感触を覚えた気がした。
唇を噛み、痛みを堪え、苦痛の声をあげまいとする姿。痛みを堪えるためでもあるのか、メレンの足を掴む掌に力がこもり、爪をたてられるようなちりりとした痛みを感じてゆっくりと足を浮かせた。
「声をあげてくださらないと、私の愉しみがありませんよ」
言葉にわざと混ぜた落胆の色に気づかないはずもなく、サルガドの赤い瞳にさっと怒りの色が走る。それでいい、と内心で笑みを浮かべながら浮かせた足から手が離れていくのを眺めた。
「貴様、」
サルガドの声がそれ以上言葉になることはなかった。手が離れ自由になったメレンの踵が、声を出す瞬間を狙って鳩尾に落とされたからだった。激しい痛みに咳き込み、身体を曲げようにも鳩尾に当てられたままの踵がそれを許さないその姿をただ見下ろす。それはさながら生きたまま標本にされた蝶がもがいているようにも見えて。
げほごほと激しく咳き込む姿に満足気に頷いてから足を離し、背後に置いておいた椅子に腰かけた。解放された痩躯が身を折って咳き込み続ける。ぜぇぜぇと荒い息を繰り返す姿を見下ろしたまま小さく笑みを見せた。
「……そう、あなたにはその姿がお似合いですよ」
咳き込むことで体力を奪われたのか睨み付ける視線だけは変わらないまま、その場に横たわったまま呼吸を繰り返す姿。言葉にすらできないだろうことは安易に予想ができた。もちろん、メレン自体が加減なくやったのだから予想できて当たり前だ。
ぎり、と歯噛みする様子が見えた。靴を頬と床の間へと差し入れて持ち上げ、顔を上げさせる。苦痛の声を堪えるためにか唇を噛んだのも理由になるだろう。唇の端に僅かに赤いものが滲んでいた。
「貴様、など……」
「私ごとき、倒すのは容易い、と?」
言葉の先を読むように告げて足を下ろす。床に頬を押し付けるように沈んだままで身動きをしない今の姿はどう贔屓目に見てもメレンに一撃を加えることすら難しいだろう。もちろん、メレンにもそれは理解している。
よろけながらも沈んでいた身を起こす姿におや、と小さく呟きを漏らす。まだ立ち上がることができる体力があったのかと感心すると同時、サルガドを突き動かすのはやはり他人には従わないと言うプライドなのだろうかと考える。
サルガドが右腕を振るえばひゅ、といつか聞いた空を切る音がした。ついで、左手に絡まるワイヤー。いつの間に仕込んでいたのか、それとも最初から反撃するつもりだったのか。
「せめてもの抵抗、ですか?」
しっかりと左腕に絡んだワイヤー。彼の武器であるそれは武器であるが故に硬度や殺傷能力があることは最初に出会ったあの時に理解している。
満身創痍の姿はそのまま、ぎり、とワイヤーが締まる痛み。頬を切り裂いたこともあるそれは、メレンの服を切り裂き腕を傷つけることぐらいは容易いだろうことを容易に想像させる。
「このまま、その腕を切り落としてくれる」
憎しみのこもるその目に僅か、笑う。
(この目だ)
真っ直ぐに憎悪を向けてくる、その視線。
絡められたワイヤーを更に腕に巻き付けるようにしながら掴む。じりりと掌に焼き付くような痛みが走ったのは、まぎれもなくワイヤーによって手袋が破れて皮膚を切り裂く感触だ。
一歩、足を踏み出す。ワイヤーによって繋がれた距離が縮まって、痛みすらものともしないメレンの姿に僅かにサルガドの表情が困惑に揺らいだような気がした。
「やれるものなら、どうぞ」
「……ならば、望み通りにしてやろう」
ぎり、とワイヤーが更に締まった。痛みに僅かに眉をしかめてから皮膚にワイヤーが食い込むのも構わず、力を込めて引き寄せる。と、同時に足を振り上げた。
繋がったワイヤーのために距離は離れられない。引き寄せる動作と共に放たれたメレンの足は的確にサルガドの腹へと吸い込まれる。鳩尾を狙ったそれは僅かに逸れるもののサルガドのバランスを崩すには十分だった。
すかさずワイヤーを引き寄せながら床に倒し、胸に膝を乗せて体重をかける。繋がれたワイヤーは根本まで手繰り寄せてそのままサルガドの右手を封じ、空いた右手でいつかのように首を捉えた。
「力で、私に敵うとお思いですか?」
そのまま右手に力を込める。手袋の下で脈打つもの。それに力を込めればどうなるかはわかりやすい。
「何度も同じだと思うな……!」
叫び声のような声と共にワイヤーに繋がれていないサルガドの左手がメレンに延びる。首を掴もうとするその手を避ければ襟元を握られた。引き寄せるでもなく引き離すでもなく。メレンの出方を窺っているようにも見えた。
ふ、とメレンの口元に笑みが浮かんだ。首に触れた右手を離し、護身用に隠し持つナイフをその手に握る。首を封じた掌が離れたことで逃げようとするサルガドの上でナイフを振り上げた。
(動くなら、動いて見せればいい)
動きが止まる。向けられる銀色の刃を見つめたまま見開かれる赤い瞳。
ひゅ、と空を切り裂く音は一瞬。次いで、刃が刺さる鈍い音。しばしの静寂。
ナイフの刃は寸分違わず、サルガドの顔の真横へと突き刺さっていた。
驚きによってか見開かれたままの瞳が、笑みを浮かべたままのメレンを見つめたまま緩く数度瞬く。は、と止めていたのだろう息を吐き出す音が小さく聞こえた。床に刺さったままのナイフから離した手をまたその首に触れさせて、指先でゆるりと撫でるのは脈を打つその場所だ。
そのまま身を屈めれば距離が縮まる。ワイヤーによって切り裂かれ、血をあふれさせる左手をその頬に触れさせた。指先を滑らせればぺたり、その浅黒い肌に赤く残る痕。唇に指を触れさせれば、まるで紅のようで。
いとおしむように唇を重ね、まるで睦言を囁くように唇を開いた。
「……あなたは、私のものだ」
2012/03/24 Ren Katase