Suicide Syndrome


■【距離】

 こん。
 小さく、控えめに響いたノックの音。部屋が静かでなければおそらく聞こえなかっただろうそれにリーズは目を瞬く。
「……サルガド?」
 ベッドに腰かけたまま手入れしていた剣を端に立て掛けさせながら声をかける。声は聞こえない。だがそこには誰かがいるのは気配でわかる。入っていいのか悪いのか、悩んでいるかのようにも感じられた。
「鍵は開いてる。入ってこい」
 改めて声をかければかちゃり、と控えめにドアノブが鳴った。顔を出す姿は紛れもないサルガドその人で、どこか遠慮がちな態度に気づかれないように小さく笑った。
「……怪我は大丈夫か?」
 サルガドと取引をしてから数日、なかなか自分からは姿を見せないサルガドに声をかけながら数回捕まえて治療した。最初は文句を繰り返していた彼も慣れたのか諦めたのか、こうして姿を見せるようになった。
 無言のままベッドに腰かけるサルガドの横に椅子を引きずってきて腰かけ、服の下にいまだ残る傷痕を眺める。増えてはいないが減ってもいない。いちばん酷い肩の傷はだいぶ塞がったと思えばまた切り開かれて血を滲ませる。そんな繰り返し。
「包帯変えるぞ」
 触れようとすると肩を震わせるのもリーズの方が慣れた。予告なしでは萎縮とも違う、怯えのような何かを見せる。気安く触るなと言うあの普段のプライドの高さどうこうではなく、それは『触れられる』という行為に対して植え付けられた恐怖に見えた。
 包帯を取り替えながらサルガドの様子を窺う。端に朱を履く伏せた瞼に睫毛が長い。端正な面差しだがいかんせん、むすっとした不機嫌そうな表情が台無しだ。
(笑いでもすればもう少しな)
 周辺の反応も変わるだろうに。間違いなくお節介だと言わざるを得ない自分の考えに苦く笑った。つまりはそんなに周囲がサルガドに向ける感情はお世辞にも良いとは言えない。後輩にあたる双子の剣士から聞いた話では最初に導き手たちを巻き込み軽いトラブルを起こしたとか。
「……何を考えている?」
 囁くように落とされた低い声に目を瞬いて我に返る。包帯を巻く手が止まっていたことを不審に思ったらしいサルガドがこちらをねめつけるような不審に思う視線を向けていた。
「いや、何でもない」
 笑い返しながら首を緩く振って答える。取引の話があるのだから機嫌を損ねてもさほど問題はなさそうだが、機嫌が良いにこしたことはない。そもそも、機嫌がいいところを見たことがあるかどうかは別として。
 リーズが見る限り、サルガドはほとんど笑うことはない。否、正しくはまともに楽しいや嬉しいと言う感情でもって笑うところを見たことがない。他人を馬鹿にしたりと言う点においては僅かに頬や口許を歪めるような表情もないわけではないようだが。少なくとも覚えている限りでは眉間に皺を寄せたままの難しい表情ばかりだ。
 そもそも、機嫌がいいことなどあるのかどうか。少なくともリーズはそんな姿を見たことはないが、機嫌のよい姿と言うのも見てみたいような気はしている。
「……なぁ、サルガド?」
 ぽつり、名前を呼んだ。ちらりと視線だけがこちらを見る。巻き終わった包帯を留めて手を離し、じっと視線を合わせればばつが悪そうにふいと逸らされた。
「……何だ」
「この傷をつけた相手のこと。……話す気はないか?」
 静かに言葉にするも、眉間の皺が深くなる。あからさまに不機嫌な表情を隠しもしない姿に困ったように笑い返しながら解っていた反応に小さく溜め息混じりの息を吐いた。
「……貴様に話す必要はない」
 眉間に皺を寄せたまま、問いかけには答えないままただそれだけを口にする。視線を合わせることもなく、服を着込みながら身体ごとふいとそっぽを向かれた。結局かなり機嫌を損ねたらしい。
 言いたくないのはどうしてなのかリーズにはわかりそうにもない。相手を庇っているのか、それとも別な何かの要因か。サルガドの性格やその他を考えれば、どう考えても後者ではある。ただし、本人が他人に言うかと言われればまずないだろうが。
「私にくびり殺されたくなければ、それ以上詮索するな」
 静かな言葉の裏に、強い強い拒絶。
 仕方ないと内心で諦めながら椅子から立ち上がり、一歩離れる。ちらりと視線を上げるようにリーズを見てからふいと顔を背けた。
「……すまん」
 ぼそりと珍しい言葉を吐き出す姿に目を瞬いてから相手を見下ろす。うつむいたまま、シーツに置いた自分の手を見つめるような姿で動かない。謝罪の言葉を口にするようになったあたり、だいぶ態度は軟化したようだ。おそらくは根っからの悪人と言うわけでもないのだろう、とリーズは判断する。とてつもなく不器用、と言う認識ではあるが。
「気にするなよ」
 言葉を返せばサルガドが立ち上がる。部屋から出ていく為だろうが歩き出す姿を眺めれば、擦れ違い様にふらりとその身体が傾いだ。咄嗟に腕を伸ばし、その痩躯を抱き留める。
「……っ!」
 ぎくりと腕の中の身体が強張った。次いで、加減のない強い力でどんと押しやられる。それと同時にバランスを崩したサルガドが背後のベッドに座り込んだ。額に手を当てたまま逆の手でシーツを握りしめる姿は何かを耐えているようにも見えた。
 大丈夫かと問うことすらはばかられて、リーズは言葉を失ったまま椅子に腰掛け直す。はぁ、と荒い息を整えようとする小さく吐息だけが聞こえてリーズは自分の手元を見つめるに留めた。
「……お前、ちゃんと寝てるのか?」
 ふと、思ったことを問いかける。ちらりと言うよりはぎろりと効果音が付きそうな風体でこちらを睨む赤い瞳。肌が浅黒いのもあってかはっきりとはわからないが、うっすらとではあるが隈があるようにも見える。たとえそれがわからないとしても、態度だけで十分だった。
 深く溜め息をついてから立ち上がる。いぶかしむように眉を寄せながらこちらを見上げる姿にせーの、と言葉にしながら勢いよく毛布を被せた。
「貴様、何を……!」
「いいから黙れ、そのままさっさと横になれ。むしろ寝ろ」
「離せ、この馬鹿力がっ」
 顔が見えないようにしながら力任せにベッドに押し付ける。頭から毛布を被せたせいでこちらの顔もサルガドの顔も見えない。細身の身体は見た目通りに力は弱い。
 毛布の上から触れることでいつものような過剰な反応も、こちらを見る怯えたような表情もないのはもがくような仕草で何とはなしに理解できる。安心すると同時、何がサルガドの中で恐怖として凝り固まっているかが気になった。
 体勢から考えてもリーズの方に分があるのは明らかで、それでももがこうとする姿に諦めの溜め息をつきながら一言口を開く。できることならあまりこういう発言はしたくない。
「いいから。寝ないと傷のことばらすぞ」
「……っ」
 静かに言えば、小さく息を飲む音と共に抵抗していた力が緩んでおとなしくなる。頭の辺りの毛布をはげば釈然としない表情を見せながらリーズのベッドの上で背中を向けるように横になる。それを見てよし、と満足げに頷けばきちんと毛布を被せてから肩を軽く叩いて一歩離れた。
「何もしないし、誰にも何もさせない。……少し眠れ」
 気配だけはどうしようもないので諦めてもらうことにする。距離を離してソファに腰掛け、少しでも変わるだろうかと出来るだけ気配を殺す。横になったままのサルガドから言葉は返らない。ただし、眠ったような気配もない。
 安心したのかどうなのか。自分も眠気を感じて気付かれない程度に小さく欠伸を噛み殺す。何もさせないと言った手前自分が寝てしまうのはどうかと思ったが、眠気には勝てそうになかった。
「……サルガド」
 横になったまま背を向けている姿に声をかける。反応はない。眠ってもいないだろうから、ただ独り言のように口を開く。半分ぐらいは眠気に任せた、面と向かっては言えなさそうな言葉。
「……俺は、お前を傷つけたりはしないからな」



2012/06/02 Ren Katase