ふ、と目が覚めた。
緩く目を瞬いてぼんやりと寝返りを打つ。寝起き特有の曖昧な意識のまま、壁から部屋を見るように身体を動かしてからぎくりと身を竦めた。
自分の部屋ではないこの場所に一瞬頭によぎった存在を探し、そうしてソファでうたた寝しているらしい姿を視界に認めて小さく安堵の吐息を落とした。
(……そうだ)
自分はこの男と『取引』をしたのだ。
思い出すのはつい数時間前の記憶で、サルガドは僅かに眉間に皺を寄せる。思い出すのは眠れていないのではないかと聞いた声。自分に毛布を半ば無理矢理被せて寝ろと促した声。
動作が無理矢理だったとはいえ、思えばいとも簡単に乗せられてしまった気がする。そして乗せられて眠った自分も余りにも無防備過ぎると溜め息をついた。
(……ただ)
夢を、見なかった。
あの男に他人に言えるはずがない行為をされてから、何度も何度も繰り返し見るあの悪夢を見なかったことに気づいて緩く唇を噛んだ。見なかったことを喜ぶべきなのか、それともそこまで油断したことを恥じるべきなのか。経験のないことに判断はできない。
ベッドから足を下ろす。体重を預けていたベッドが軋んでぎしりと音を立てた。ソファで眠る姿が目を覚ますのではないかと身体を強張らせるが、微かに聞こえる寝息は変わらない。
「……馬鹿が」
眠るリーズの前に立っても目を覚ます様子はない。これであのレジメントの一員だと言うのだからお笑い草だ。探索の時の強さこそサルガドも目にしているのだから理解はしているものの、あまりに隙だらけの様子を見れば簡単に信じられそうにはなかった。
穏やかな寝息を立てているリーズを見下ろしてサルガドは小さく息を落とす。ここで殺されることなど考えても見ないのだろう。……殺されても死なない世界であることは別にしても。
「……う」
小さな呻き声にびくりと身体を震わせる。起きたかと思ったがただ少し身じろいだだけのようにも見えた。またも穏やかな寝息に戻る姿に安堵の息を吐きながら口の中で小さく悪態をつく。
誰に頼ることも誰に打ち明けることもできない状況で、繰り返し見る悪夢はどれだけ自分を蝕んでいたのか想像に難くない。もちろん、その一端が軽減されたのは悪いことのはずがない。
(……それでも)
その言葉をこの無防備に眠る男に語ることだけはする気になれなかった。まだ、そこまでの信頼を寄せるに気にもなれなかった。信頼。自分で考えたその言葉に自嘲の笑みを浮かべる。誰が誰を信頼すると言うのか。信頼などしない。する気もない。
口の中でもう一度、今度は自分に対して悪態をついてから見下ろしたリーズを見つめて緩く目を瞬いた。先程まで自分が借りていたベッドから毛布を引き出し、目を覚まさない程度にそっとリーズにかける。
眠るリーズは疲れているのか小さく呻いたものの、その目を開く様子はなかった。もしかしたら狸寝入りかもしれないが、少なくともサルガドにそれを知る方法はない。
「……」
馬鹿が、と。先程呟いた言葉をもう一度繰り返してふいと身体ごと背を向ける。振り返らないまま、部屋を後にした。
2012/06/02 Ren Katase