人が多いわりに、探索に連れていける人数は決まっているらしい。もちろん、誰かを連れて探索に出ている場合や探索に行く前などは時間が空くこともある。
鍛練もやり尽くし、退屈をまぎらわせるように屋敷内を歩き回れば、微かに耳に届く話し声。視線の先、僅かに開いた扉の向こうの部屋の中に壁に寄りかかる見慣れた姿があった。
(……あれは)
細身の姿。前髪で隠れて見えないが浅黒い肌の横顔。扉からひょいと顔を覗かせれば赤い瞳がちらりとこちらを見た。次いで、ぎゅっと寄せられる形のよい眉と、不機嫌そうな表情。
視線を部屋の中へと向ければカードゲームに興じているらしい姿。こちらに背を向けてスツールに腰かける青い髪の少女と、その横に座る茶色の髪の少女。そうして、その相手をしているらしい茶色のスーツの青年。
にこやかに微笑む姿には見覚えがあった。数回顔を合わせたことはあるものの、会話はしたことがないように思う。確か、メレンと言う名のアコライトだったはず、と思い出してリーズは横にいるサルガドに視線を戻す。
「……何をしに来た」
「姿が見えたから、軽く挨拶でもとな」
軽い調子で言えば眉間の皺が深くなる。ふいと視線が逸らされ、ぼそりと唇から吐き出されるのは暇人め、という悪態のような何か。二言目には野蛮人たの馬鹿だの暇人だのと、悪態混じりの言葉を吐かれるのはだいぶ慣れた。コミュニケーションが取れる分、妖魔よりかはよほど気安い。比較対称を間違えている気がするがそれは棚にあげておく。
「……で、お前は何をしてるんだ」
「見てわからんのか」
説明する気すらなさそうな声が言う。赤い視線の先はゲームに興じる青年と少女たちの姿だ。片方が導き手であると言うだけでなるほど納得、とリーズは緩く頷いた。探索には時間がかかる。そして休めば休んだ分だけ長く活動できる。つまりはそれを待っている、とそういうことだろう。
「導き手のお呼び出しか。大変だな」
「……レッドグレイヴ様も行くのだから私に拒否権はない」
さらりと述べられた言葉にははいはいと頷くに留めて気付かれない程度に肩を竦める。どう見てもレッドグレイヴの犬ではあるが、本人の気質は猫だ。飼い主にのみ犬のようになつく猫、といったところだろうか。
相変わらず服を着込み隙なく立つ姿からはあの傷を受けて倒れている様子などはとんと結び付かない。プライドがそうさせるのか、知られたくないだけなのか。おそらくどう考えても両方。
「……探索に行って、大丈夫なのか?」
何がとは明確に言わずに問いかける。ぎろりと睨み付けてくる視線が喋るなと言わんばかりにリーズを見つめ、ただ一言だけ貴様には関係ない、と言葉を紡いだ。
「関係なくはないだろ、それを治療してるのは」
「いいからその減らず口を閉じろ。くびり殺すぞ」
冗談混じりの言葉は呆れたような表情とは不釣り合いなドスの利いた静かな声によって遮られる。からかわれているのが嫌だと言うよりは、その反応は。
(……焦っているのか?)
傷の話を誰かが聞いている場所で話題に出されるのが嫌だ、と言うような風体でもない。離れた位置にいるレッドグレイヴに知られたくないと言う様子にも見えない。どちらかと言えば。
(……怯えている、ような)
知られることよりは、聞かれないようにと。話題に出ないようにと焦っている。そんな姿に見えた。
「さて、お嬢様そろそろお時間ですよ」
笑顔に隠したそんな考えを耳に届いた柔らかい響きの声が遮る。
「そうね。それじゃ行ってくるわ。サルガド、レッドグレイヴ。お願いね」
導き手の少女が言い、ひらりと身軽にスツールから飛び降りる。声を耳にした横のサルガドが顔を上げ、その表情が僅かにひきつったように見えたのは気のせいだろうか。
リーズの腰ほどの身長しかない少女たちが扉から外に出ていき、その後ろに続こうとするサルガドの肩に軽く触れて引き留める。
「気を付けてな」
耳元での囁きに言葉は返らない。ふいと顔を背けたサルガドはそのまま二人を追って廊下へと出ていき、ひとり残されたリーズはやれやれと小さく息を吐いた。
ふと振り返れば、残されたアコライト――メレンと視線があった。ほぼ同時に同じように目が瞬き、それからメレンが笑みを浮かべる。
「……お嫌でなければ、一ゲームいかがですか?」
「あまり得意じゃないが、それでもよければ」
メレンの申し出に断る理由もなかった。元々暇を持て余して屋敷内をふらふらと歩き回っていたのだから、一ゲームだけであろうと暇を潰せるのならば望むところだった。
カードを広げるメレンの前、スツールに浅く腰掛けながら頬杖をついて見上げる。光の加減で金にも見えそうな茶の瞳と柔らかそうな茶の髪、右目の下に刻まれた十字の刺青。カードを繰る白手袋に包まれた掌の動きはカードマジシャンと言われるだけあってか手慣れている様子が見受けられる。印象としては穏やかな優男。
「ブラックジャックはいかがでしょう。ルールはご存知ですか?」
「あぁ、知ってる。……まぁそんなに優雅にやったことはないがな」
トランプを含めたカードゲームなど生前所属していた組織では賭けの一環であり任務の合間の暇つぶしだ。少なくともこんな一対一で優雅に行うことなどまずありえないし、そもそも一対一自体がそもそも少ない。
頷いたメレンがシャッフルしたカードをリーズと自分との前に置き、メレン自身の前に置いたカードを片方だけオープンする。――クラブのエース。
「この世界には慣れましたか?」
穏やかな声が問いかけてくる。目の前に置かれたカードを取り上げながらちらりと伺えば、その姿はとても穏やかな姿に見えて。にこりと笑みを返し、肯定の意図と共に頷いて見せる。
「だいぶな。知り合いもいたし、……気になるヤツもいるし」
気になると言うか、心配すると言うか、放っておけないと言うか。気になる、と言う点においてならばどれであろうと間違いではない。気になっているし、心配しているし、放ってはおけない。れっきとした成人男性に対する感情ではないことはこの際置いておく。
掌の中で開いた二枚のカードを眺めれば、思わず目を瞬いてから無意識に口許に笑みが浮かぶ。手札はスペードのキングとエース。メレンがどのような手で来ようと負けるはずがない完璧なるブラックジャック。一度で引き当てるなど、ずいぶんと運がいい。
「……おや、よろしいので?」
「あぁ」
そのままカードを伏せれば問いかけてくる声は当然だろう。頷けば伏せられたカードを眺めたメレンが僅かにカードに触れるが、それ以上の行動を起こす様子はない。そうして、そのまま一度手を引いた。
「ならば、こちらもこのままで」
ブラフと取ったのか否か。だがしかし、一度きりの勝負。運を天に任せるのも悪くない。……つまりはそういうことなのだろう。同じような考えをしたのかどうか、リーズにはわからない。
「call」
笑みと共に声が重なる。同時に開かれるカード。最強の手を持つリーズが相手では、メレンの手札がどれだけ良かろうと勝つことはできない。
「……スペードのブラックジャックですか。お見事」
感嘆の溜め息のような吐息と共に吐き出される言葉に笑い返す。反応だけ見るのならばこちらを喜ばせようとする意地の悪いイカサマではないようだ。それぐらいの表情の変化に気づけないほどリーズも鈍感なわけではない。
「完敗ですね」
「運がよかっただけさ」
僅かに残念そうな色を滲ませる声に勝負は時の運だと言外に返してへらりと笑い返す。約束は一ゲーム、メレンの性格から考えても今すぐリベンジということもなさそうだ。
指先でカードをゆるりと撫でる。引き当てただけの幸運の証。スツールから立ち上がって緊張からか固まった身体をほぐすように伸ばせば小さく息を声が漏れた。
「運も実力のうち、と申しますよ」
「違いない」
運を引き寄せるだけの力も実力のうち。あの場所で生き残ることや、この世界にいること――あの男に出会ったことすら、ある意味で自分が引き寄せた運でもって起こった事実。……そう言う意味にも取れる。
「……いいことがありそうだ」
見下ろした視線の先はカード。呟いた言葉に願望を乗せる。これを引き寄せた運が、別の方向に効果があればいいのにと。
「よろしければまたお相手をお願い致します」
「今度は惨敗かもな」
一瞬の考えをメレンの言葉が遮り、冗談混じりに言葉を返す。それじゃあと軽く手を上げて見せてからそのまま部屋を辞した。
ぱたん、と小さな音と共に背後で扉が閉まり、ゆったりとした足取りでまた歩き出しながらぼんやりと意識を巡らせる。
気づけば彼と出会ってからそんなに時間が経過していないはずであるのに、よく考えている自分に気づく。どれだけ心配しているのか、と思って自嘲の笑みを浮かべた。
(……もう少しなぁ)
素直になってほしい、と自分にブラックジャックを引き寄せた運に期待して、馬鹿馬鹿しいと首を振った。誰にも気付かれない程度に一人、微かに肩を竦める。
(さて、と)
鍛練も終わったし時間もある程度は潰れた。軽く首を傾けてこきりと鳴らしてから、リーズは部屋に戻ろうかとそのまま足を向けた。
(野良猫が帰ってくるまで、部屋にいるかな)
怪我をしなければいい。そんな風に思いながら。
2012/06/14 Ren Katase