Suicide Syndrome


■【01】

(……やっと)
 くず折れる姿を抱き止めて、緩い力で抱き締める。反応はない。意識はあるが、自我を手放した、そんな風にも見えた。抵抗されるか、逃げようとされるか。どちらにしろ逃がすつもりはなかったが、メレンにとっては最善の状況になったようだった。
 愛されたいわけではない。女性のように愛したいわけでもない。そもそもこの感情は愛と呼ぶにはあまりにも歪んでいる。ただ、望んでいた。欲していた。このたったひとつの存在を。
 第一印象がひどく悪かったのを覚えているが、何故自分がこうなったのかその過程を思い返してもいまいち掴みきれない。腕の中の存在に『狂わされた』と、責任転嫁のようではあるがそう思わざるを得なかった。
 細い身体を横様に抱き上げて、一人がけのソファに座らせる。くたりと背もたれに身体を預ける姿はまるで生きている人形だ、と思いながらその灰の髪をすくように指を通した。赤い瞳は虚ろに空を見つめたまま、ただその目が乾かぬようにと生理現象である瞬きを繰り返す。
『リーズ』
 最後に呼んだ声はやはりあの男のことで。半分以上はメレン自身が仕組んだこととはいえ、気分が特別いいものではない。
 そしてその名前を持つ本人は、さほど時間も経過せずに気付くだろう。連れていくと言ったサルガド自身がいないことに。
 そう思うのも束の間、ばたばたと焦るような走ってくる足音。
(囚われの姫君を救いに来る王子様、ですか)
 ならば自分は姫を拐った悪魔か魔物か。自らの今の精神状態から考えれば強い否定もできそうにない。そもそも姫の立場にある男はすでに外界からすっかり意識を閉ざしてしまっているわけだが。
「メレン!」
「やはり来ましたか、リーズ」
 その明るい空のような色の瞳に戸惑いのような怒りのような色を宿した姿。メレンを呼ぶ声に笑顔で返せばその視線がさ迷い、メレンの背後で人形のように座っている姿に行き当たる。
「サルガド……!」
「おや、それ以上は近づけさせませんよ」
 一歩を踏み出そうとするリーズとソファのサルガドとの間に割り込むように半身を滑らせ、腕でもって制す。
「サルガドに何をした」
「何も。事実を突き付けて差し上げただけですよ……貴方と共にはいられないと言う、ね」
 その結果、彼の精神が壊れてしまっただけ。呆気なかったと言えば確かにそうだが、ある意味で最善なのだ。傍に置いておくと言う点においては。たとえ、
「何故、そんなことをした?」
 思考はリーズの言葉に遮られる。くすり、と笑みがこぼれた。身を翻し、ソファに座るサルガドの背後に回る。背もたれごしにその肩に触れながら正面に立つリーズと視線を合わせる。
「手に入れるため」
 答えは簡潔。視線は逸らさないまま、ただ一言で言葉を返した。
「貴方の存在は正直に言って誤算だったのですよ。……だが、利用するに易かった」
 いちばんの誤算は、メレンが思うよりもサルガドが心を許したこと。だが結果としてそれがサルガドにとどめを刺したと言っても差し支えない。
 サルガドがリーズに心を許したと悟ったとき、メレンの頭の中でシナリオは出来上がっていたのだ。ここまで綺麗に決まるかと言う話は別にして、だ。
「……俺を、利用したと?」
「えぇ。貴方が彼を好いてくれて助かりました。おかげで手に入ったに等しい」
 そうでなくとも手に入れる気はあった。方法などいくらでも用意できる。その方法のうち、ひとつでも填まるのならばそれでよかった。
 ただ、リーズがサルガドを好いたことで、メレンにとっての最善かつ最良の結果が導き出せた、というのにつきる。
「どこまでが、お前の計画だ?」
「計画などありませんよ。私は貴方を布告者へと薦めただけですから。……サルガドが貴方を頼り、かつ好いたことも、貴方がサルガドを好いたことも、お嬢様が実際に貴方を選んだことも。すべて偶然です」
 偶然が重なりあい、生まれたのが最良だと言う事実。
「私はただ、その偶然を利用しただけです」
 にこり、と笑えば眉間に皺を寄せたままのリーズが物言いたげに口を開き、そして閉じる。
「……サルガドを、好いていたんじゃないのか?」
 声のトーンが僅かに下がる。握り込まれた掌が、その怒りを物語っているようだった。ちらり、リーズの腕の周囲に火の粉が舞う。そういえば炎使いだったな、と頭の隅でふと考える。
「好いていますよ。貴方とは違う方向でね」
 メレンの言葉にどこが納得行かないような表情を浮かべる姿にただ穏やかに笑い返す。嫌っていたらそもそも求めることもしない。好いている、と言う言葉ももしかしたら正しくはないのかもしれない。
「好いているからこそ、手に入れたかったのですよ。そんな感情はあるでしょう?」
 これは独占欲であり、そうして、深い深い執着。
「私は、私なりに彼を好んだ。貴方が納得できようとできまいと、」
 すぃと視線を上げた。光の強い空のような色の目を真っ直ぐに見返す。指先でサルガドの頬を撫でて、その髪を指先に絡ませればさらりと落ちた。
「これが、結果です」



2012/10/28 Ren Katase