Suicide Syndrome


■【02】

 何を、どうすればよかったのか、と。
 こちらを見ない、虚ろに開かれた赤い瞳。そしてその背後に立つ、穏やかに微笑むメレンの表情。結果、だと言った。偶然が重なりあい、それから産み出された結果だと。
「私はきちんと、私がそうだと知らせたはずです。貴方は知っていた。だから私をどうにでもできたはず」
 何故、それをしなかった。と視線だけがそう言葉にする。
「傍に置けば守れると? それならそのまま手放さずにいればよかった。一分一秒とも離れないままでいればよかったのです」
 現実を突きつけるようなメレンの言葉は、どこか優しくも聞こえて。微笑む表情はまるでリーズをたしなめるかのようにも見えた。
 メレンの指先が浅黒い頬を辿る。もてあそぶかのように灰色の髪をゆるりと指先に絡め、落とす。まるで遊ぶような仕草。
「詰めが甘かったのですよ、リーズ」
 微笑む表情に神経を逆撫でられる。ぎり、と握りしめた手のひらに爪が食い込むような感覚がした。ちらり、腕の周囲に火の粉が舞う。
 落ち着け、と頭の中で言い聞かせる。怒りをコントロールしろ、とリーズ自身に教えたのは父だった。深く、深く息を吐いた。怒りで前が見えなくならないようにと。
「……何故、サルガドをそんな風にする必要があった?」
 問いかける。動いたら最後、怒りを止められなくなるかもしれない、と感じていた。もちろんそれが得策ではないことも理解しているうえで、だ。
 手に入れるだけならそんな風――まるで人形のようにする必要性もない。今までメレンがサルガドにしてきたことを考えれば、彼を支配することはここまでしなくても可能だったはずだ。
「……心はうつろうものです」
 笑みはそのまま、メレンの答えが返る。先程までの楽しげな印象とは違い、どこか穏やかな印象すら受ける。
「だから、壊した、と?」
「私が欲しいと望んだのは、その存在です。――心など、必要ない」
 必要ない。言い切る言葉にどこか違和感を感じて目を瞬いた。この男はこんな物言いをする男だっただろうか。普段と変わらないはずの微笑む表情が一瞬、陰ったようにも見えた。
 恋敵だ、と彼は言った。一度聞いたときに、メレンは確かにそう言ったはずだった。……あの言い方ならば確かに彼は、サルガドのことを好いているはずなのに。
 ふと、いつか見た記憶が蘇る。
 あれはいつだったか。確か、あれは夢魔に破れたときの話。記憶の底で、見たようなそれ。
 霞んだ視界の先で、抱き寄せられた細い身体。いとおしむような仕草。声は聞こえなかったものの、サルガドに与えられた傷とはあまりにも繋がらない、やさしい仕草。
 存在だけ? 存在だけあればよかった、のだろうか?
「……本当に、要らないのか?」
 だからこそ、聞いてみたかった。
 メレンが顔を上げる。淡い色の目がゆるりと瞬いて、不思議そうな表情をしながら軽く首を傾げて。何を言っているのか、とその表情が物語っていた。
「本当は、欲しかったんじゃないのか。サルガドを……そいつの心を」
 メレンの表情から笑みが消える。普段から柔らかい笑みを刻むその唇が珍しくも引き結ばれて、聞こえるかどうかの微かな声が何を、と囁いた。
「欲しいものは全部欲しがるものだろう。……メレン、お前だって同じはずだ」
 メレンの表情が僅かに歪んだような気がした。ヒトであるならば、独占欲と言うものがある。――つまりは、メレンがサルガドを壊したのは独占欲からだ、とリーズは判断する。
「本当は心も含めて全部欲しかったんだろう。サルガドの存在だけじゃなく、心も、」
「黙れ!」
 鋭い叫びがリーズの言葉をかき消した。見ない反応に息を飲んで言葉を止める。肩が震えて止めざるを得なかった。
「貴様に、私の何がわかる」
 低く呟かれた言葉にリーズは目を瞬いてからメレンを見つめる。今までのメレンとは違う姿に驚きを隠せなかった。こんな表情を、こんな反応をする男だったのか、と。
 ふるりとメレンは自らを落ち着かせるように首を振る。そうして、深く深く吐息を落とした。
「……メレン」
「貴方がどう思おうと、好きにすればいい。サルガドは手に入れた――彼は私のモノになったのですから」
 その言葉はまるで自らに言い聞かせるようにも聞こえて。一歩、足を踏み出した。何も見ないままソファに座るサルガドへ向けて。
 制止するかと思われたメレンは身動きしない。淡い色の瞳はただリーズを見つめたまま、緩やかに瞬いた。もう一歩、毛足の長い絨毯を踏み締めて近づく。メレンの指先がサルガドの肩に触れる。動かないサルガドを間に挟み、向かい合う。
「……サルガド」
 小さく、声をかけた。身動きをしない姿はまるで人形のようで、これは本当にサルガドなのだろうか、と言う疑問すら思わせる。
 目の前で膝を突く。手を伸ばす。指先を触れさせる。背後のメレンは動かない。ただじっと、どこか無表情のままリーズを見下ろしていた。
「……無駄ですよ。もう彼に声は届かない」
 囁くような声が上から降ってくる。それには答えないまま肘掛けに置かれた褐色の手を取った。体温の低い肌。何度か触れたことのあるそれ。
 指先を絡めるようにして反応を待つ。動かない指先。見上げた視線の先、虚ろに開かれた赤い瞳は焦点が合わないままで、リーズを写していないのは明らかだった。
 反応を返さないのを理解しながら、ゆっくりとその手のひらを握り締めた。



2012/10/28 Ren Katase