Suicide Syndrome


 【音を重ねて】

 「あー」
 「あー」

 同じ音程、違う音が重なる。幼さを残すレンの声と、俺の声。
 レンとリンの調声をしていたマスターがどうやら何か思い立ったようで。
 マスターにレンと一緒に呼ばれて、リンに行ってらっしゃいと手を振られたのが少し前の話。
 モバイルタイプのプロジェクターに並んで二人は大変だからとレンをプロジェクターに追いやって、俺はこっちのパソコンの中から声を拾ってもらう。

 『うん、その音。はい、もう一回』
 「あー」
 「あー」

 言われるままにもう一度、声を揃えて音を重ねる。
 ちらりと横を見れば、同じタイミングでレンもこちらを見て。視線が合った。
 俺の方――というかパソコンの画面に表示されたエディタに視線を向けていたマスターは俺とレンにそれぞれ笑いかけて、うん、とひとつ頷いた。

 『リンとミクのペアも綺麗だけど、君たち二人もいいね。……一曲、歌ってみるかい?』

 そう言ったマスターが見せてくれたのは、デュエット曲。
 手元で楽譜に変換されたそのデータを見ていれば、プロジェクターから降りたレンがこちらへと駆け足で来る。
 そうして、自分の手に持った楽譜と、俺が持っている楽譜とを見比べた。

 「あれ、兄さんがコーラスなんだ?」

 言われて俺もレンの持つ楽譜と自分の持つ楽譜とを見比べる。
 俺のメインパートも確かに存在するけれど、どちらかというとコーラスの方が多いように見えるそれ。
 レンを見れば、随分と不満そうに眉を寄せて唇を尖らせていて。

 「レン」
 「兄さんの方が音の伸びが綺麗でこういうロングトーンの曲は似合うのに」
 
 どうして? というようにレンが顔を上げる。視線の先にはパソコンの電源を落としたわけじゃないマスターがいる。
 マスターはレンの問いかけるような視線を受け止めて、それでも柔らかく微笑んでいた。

 『ロングトーンとファルセットは確かにカイトに分があるけれど、声の力強さはレンの方が上だろう?』
 「……そう、かもしれないけど」

 説明されてもレンはどこか不満そうだ。瞳を細めて小さく溜息をひとつ。
 まぁ、確かに、俺はまだマスターのオリジナル曲が一曲仕上がっていないから、メインパートはこないと思っているんだけれど。
 マスターの曲であるならコーラスでもメインでも構わないし。
 それに、今までデュエットなんてないからちょっと嬉しい。

 「兄さんはいいの?」
 「俺は構わないよ。デュエット自体が初めてだから、いきなりメインを任されても」

 うん、正直、ちょっと、困るかも。
 ボーカロイドだし人間じゃないから声がつられるとかそういうのはないだろうけれど。
 ええと、なんていうのかな。……心の準備? うん、それがない。

 『……レンが不満そうなら、いつか逆もやってみようか?』

 俺とレンの会話を聞いていたマスターがぽつり、と声を落とした。
 パソコンの前で頬杖をついて、俺たち二人をどこか楽しそうに見ている。

 「逆、って、兄さんがメインでオレがコーラス?」
 『そう。カイトの調声が追いつかないから、早くても数ヶ月後の話になると思うけれど』

 ……あの、マスター、それって。俺がまだメインをやるだけの力がないって言う……?
 なんて、ちょっと思ってみて。いや、そういう理由じゃないってことぐらいわかってる。
 マスターが言いたいのは、これを歌うことになれば、俺が調声されている歌はまた増えるわけで。
 それだから調声が追いつかない、っていうことなんだと思う。
 たくさん並行して曲を作ったり、調声するのは大変なんだと思う。
 人間のことは、まだよく、わからない。

 「約束、マスター」
 『うん、約束。……それじゃ、そっちを歌ってみようか』

 指し示された楽譜。ぼうっとしていればぐい、とコートの袖を引かれた。もちろんそんなことをするのは今ここにはレンしかいないわけで。
 レンを見て首を傾げる。レンは親指であっち、とプロジェクターを指し示して見せた。

 「次は兄さんの番」
 「え。でもレンがメインなんだし、レンの声がよく聞こ」
 「いいから」

 俺の言葉を遮って、レンは俺のコートの袖を掴んでプロジェクターまで引っ張っていく。
 ええと、意外と力が強い……とか違うそういう問題じゃなくて。
 突き飛ばされるみたいにプロジェクターの上に乗り上げれば、きょとんと眼鏡の奥の瞳を瞬いたマスターが俺を見てぷ、と噴出した。
 くすくすと笑いながらパソコンに……多分レンに視線を向ける。

 『レン』
 「順番」

 ……正直な話。レンは俺を買い被りすぎていると思うんだけれ、ど。
 短い呼びかけに短い返答。前にも思ったけれど、レンとマスターの間に会話は結構少ない。
 仲が悪い、とかそういうのではなくて。……なんだろう、距離感?
 姉さんとマスターのように近いのではなくて、逆に妙に距離が離れている感じを受ける。
 それがどうしてなのか、俺にはわからないんだけれど。

 『……まぁいいか。それじゃ、調声を始めよう?』

 重なっていく音。
 力強いレンの声と、それに重なって伸びる俺の声。
 音を重ねて、歌を作る。



 しばらくそれが続いて、終了前にマスターは俺を引き止めた。
 レンの回線が切れる。それを確認したらしいマスターはカイト、と俺を呼んだ。

 『レンは気難しいだろう?』
 「え、いや、俺にはよくわからないです……」

 パソコンの中、マスターとの回線が切れた後にはよくレンだけじゃなくミクやリンとも話をする。
 俺がインストールされてからそれなりに時間は経ってきたけれど、気難しいかと問われるてもよくわからない。

 『多分、あの子がいちばん君が来るのを楽しみにしてたんじゃないかな』

 くすくす、と笑って。その瞳がどこか、羨ましそうに細められて。
 マスターは、俺たちを本当の兄弟を見るような目でいつも見ているな、と思った。
 いつも外にいるメイコ姉さんに聞いたところによると、この家に人間はマスターしかいないらしい。
 『家族のことは聞いちゃダメよ』――そう言った姉さんの顔をふと思い出して。

 「いちばん?」
 『あぁ、違うなぁ』

 あまり考えずただ鸚鵡返しに言葉を返せば、視線をさまよわせたマスターはふるりと首を振ってから俺を見て、とてもとても綺麗に笑った。

 『君がいちばん来るのを楽しみにしてたのは、誰よりも僕自身だからね』



2008/04/29 Ren Katase