「メイ姉ボディあるの、いいなぁ……」
不意にリンがぽつり、と一言こぼした。
マスターは仕事に出ていていない。外とは回線が切られていて、今ここにいるのは俺とレン、リン、ミク。
基本的にマスターはパソコンの電源を落とさない。
エディタが切られているだけで、俺たちは自由に動くことができる。
だから、こうやって一緒に四人で話していることは良くある話。
「うんうん、羨ましいよねぇ。わたしも欲しいんだけどー……」
俺の正面、勢いよく頷いたミクが唇に人差し指を当てて小さく息をつく。
その仕草に右隣のレンが首を傾げ、左隣のリンが興味深そうに視線をやった。
「……わたしたちが十人は買える値段だよ、って言われて……」
「え」
ミクが言うには、昔、姉さんのボディを羨ましく思ったミクがマスターにボディをねだったらしい。
それに対する返答が、「ミクが十人は買えるよ」だったと言う話。
俺たちも自分たちがソフトウェアで、その値段を知らないわけじゃない。
……少なくとも、ほいほい買えるような安いものじゃないってことぐらいは十分にわかる。
で、それが十個、となると。……つまり、まぁ、そういうこと。
リンとミクが同時に深々と溜息をついた。俺とレンは視線を投げあい肩を竦める。
「レンとカイト兄は? 外、出たいと思わない?」
ぱ、と顔を上げたリンが俺とレンを見る。一度は外した視線をもう一度向けて、レンとどちらからともなくリンを見た。
握り拳を作って外、と力説するリンの気持ちもわからなくはない。
「出れるなら、出てみたいけど」
「……俺は、まだ、いいかなぁ」
頷くレンと、それとは逆に首を緩く振る俺。そうすれば、三人の視線が一気に俺を向いた。
思わずたじろいで座ったまま身体を引いてしまう。勢いが、怖い。
「何でー!? お兄ちゃん、外に憧れないっ!?」
「カイト兄、外、嫌い?」
「……そう言うとは思わなかったなぁ」
三者三様。一気にまくし立てられて、何とか判別できた台詞に両手をあげてヒートアップする三人を宥める。
身を乗り出していたミクとリンがすとんと元の位置に腰を下ろし、レンが座っていた足を組み替えた。
「まだいい、ってだけだよ。外に出れるなら出たいし、憧れもするし」
嘘だ。……本当は、考えたことなんてなかった。
外は、俺にとってとても近くて遠い場所。
プロジェクターの上は外であって、外じゃない。パソコンの中の延長線上。
外に出るなんて、これっぽっちも考えたことがなかった。
「そっか、やっぱり憧れるものだよな」
「外、面白いものたくさんありそうだもんねぇ」
「風を感じる、とか、色んな音とか、たくさんあるんだろうなぁ」
納得したようなレンと、にこにこと笑うリンと、どこか夢見心地のミク。
……外。この、パソコンの外側。マスターが、存在しているところ。
「……マスターは、俺たちが外にいたら、嬉しいのかな」
小さく呟きをひとつ、落とした。
きゃぁきゃぁと外に関して二人ではしゃいでいるミクとリンには聞こえなかったようで、レンの青の瞳がこちらを見た。
組んだ足に乗せた掌。それに視線を落として、ふと自分の青い爪を撫でるように指を滑らせた。
ニンゲンではないから、身体が必要で。
外とは切り離されているから、ニンゲンではなくて。
身体があれば外には出られる。でも、その分だけ色々と大変なんだと思ってる。
何度か、ネット上でのニュースを見た。
身体のあるボーカロイドが、自分のマスターを殺してしまう事件。
どうしてそんなことをするかなんて、きっと本人にしかわからない。
俺は、ボーカロイドは恐怖を感じないはずなのに、何か、それ、を感じた。
考えたことはなかった。
でも、考えてみて、ふと今そのニュースを思い出して。
……もしも、それが、あったら。
「兄さん」
「カイト兄」
耳が声を拾う。息を呑んだ。俺の手に触れたレンの手と、逆の手に触れるリンの手。
弟妹たちが俺を覗き込むようにしていた。知らず止めていたらしい息をゆっくりと吐き出した。
ないはずの鼓動の音が、聞こえるような気がする。
「大丈夫? 顔、真っ青」
「スリープに入る?」
少し離れていたミクも近寄ってきて、俺の額に手を触れさせた。
あぁニンゲンじゃないんだから、そんなことしたって意味がないのに、なんてぼんやりと思って。
「大丈夫。……うん、でも少し眠ろうかな」
笑う。笑えていたかな。ミクの手を外して、ゆっくりと立ち上がる。
首もとのマフラーで顔を半分、隠した。
距離は、このままでいいと思ってる。俺はそう、思っているだけ。
最後に選ぶのは、マスターだから。
2008/05/06 Ren Katase