Suicide Syndrome


 【「カイト」と「カイト」。】

 通常、家には「カイト」はひとりだけ。
 それもそうだ、同じアプリケーションをふたつ入れることなんてできるわけではないし。ちょっと違うかな。できることはできるけれど(パソコンを変えればできる)、それをするメリットはあんまりないから。大体はひとつの家にひとつのアプリケーションだ。
 だから、マスターの家には俺だけ。マスターの「カイト」は俺だけだ。
 それでも、カイトが数人顔をつき合わせることもある。自然というとちょっとおかしいけれど、マスターがたくさんいるなら、その人数分カイトだっている。顔をあわせないという可能性はゼロじゃないわけで。

 『……そんなわけで、今日、ユウと一緒にカイトが来るからね』

 マスターの説明を聞きながら、俺たちはいっせいに顔を見合わせる。
 レンはそうでもなさそうだけれど、リンとミクはわくわく顔だ。俺以外のカイトに出会うなんて滅多にないことだし、わくわくするのはわかるんだけれど……そんな、見たからにきらきらした顔しなくたって。これでもしも俺より親友さん……ユウさん、と呼べとこの間言われたんだけれど。彼が連れてくる「カイト」の方が格好いいとか、そういうことを言われたら正直ショックが大きいんだけど。そうならないといいなと思いつつ……だってわからないし、どうなるか。
 俺と同じ外見の、違う存在。何だか会うのが楽しみなような、ちょっと、怖いような。不思議な感覚。

 『ちゃんと、みんな静かにしててね』
 「はーい」
 「はぁい!」
 「ん、わかった」
 「わかりました、マスター」

 マスターの声に4人で言葉を返す。ミクは握り拳を作って頷き、リンは大きく手を上げて。レンは簡単な調子でさらっと返事をして、俺はその後ろから頷くだけ。俺たちを見やって、マスターはいつものやわらかな笑顔でにこりと笑んで頷いた。
 しばらくして不意に、ぴんぽーん、とインターホンの音が鳴って、はぁい、と声を上げた姉さんが出迎えにリビングを出ていく。インターホンが聞こえた瞬間から見た目にもわくわくしているらしい弟妹……特に意外と静かに見えたレンがわくわくしているらしいのは珍しいんだけど、ディスプレイの真ん前でリビングの入口のあたりを見てるだろう様子を後ろから眺めていれば、マスターが微笑ましいものを見るような視線で俺たちを見てた。
 視線が合って、マスターが眼鏡の奥のちょっとだけ茶色い眼を笑みの形に柔らかく細める。ないはずの鼓動が一瞬、高鳴ったような気がした。ふいと目をそらせば、マスターはくすくすと小さく笑っていて。

 『来たぜケイーっ』
 『相変わらず賑やかだなぁ。もう少し落ち着けないのかい』

 ユウさんはマスターの呆れたような声を気にすることもなく気の抜けたような表情でへらんと笑っていて。来いよ、と背後を振り返り手招いた。それにつられる様にすぃとマスターがユウさんから廊下に繋がる扉へと視線を向ける。ユウさんの横にいたのは――よくよく見知った、青い姿。
 かたん、とマスターが立ち上がる。姉さんから15cmぐらいマスターが大きくて、そのマスターより10cmぐらい小さい。ユウさんとマスターに挟まれるとずいぶん小さく見えた。俺の前にいたミクとリンが俺を振り返るようにして見比べてる。そりゃ、うん。同じ型のボーカロイドなんだから似ていて当然なんだけれど。同じ顔がある、というのはどこか不思議なもの、で。

 『ほら、カイト挨拶』
 『あ、はい。……初めまして』
 『うん、初めまして。聞いているかもしれないけれど、僕はケイ。こっちはメイコ』

 ユウさんに促されて彼が頭を下げる。それに返したマスターの言葉に緩やかに姉さんが頭を下げた。それから、とマスターは言葉を続けて背後……つまり俺たちがいるパソコンに振り返った。すぃと上がる彼の青い瞳が俺たちを見た。ひとつ、瞬く。
 同じ顔と言っても、多分表情や感情から来る印象とかはきっと違うものなんだろう。ただ、俺は自分のことだってよくわからないのに彼がどういう感じなのか、というのはわかりそうにもない。だから、第一印象としては本当にあぁ、俺と同じ顔なんだな、ぐらいにしか思えなかった。逆に、俺を外側……外見からから見ているリンやレンやミクは俺と彼とを交互に見比べてくすくすと楽しそうに笑ってる。レンが俺の傍に来て、くいと軽くコートの袖を引っ張った。

 『……兄さんの方が大人びてる気がする』
 『そう、かな? ありがとう』

 うん、それを喜んでいいのかどうか、っていうのはちょっと俺にはわからないんだけれど。でも、多分レンの口ぶりならそれは褒めていてくれるんだし、素直に礼を述べておく。レンはちょっとそういうところ、素直じゃないところがあるから。礼を述べてにこりと笑いかければレンはふいとそっぽを向いた。相変わらずこう……物静かな子だなぁ、とか思ってみて。

 『この子たちが僕のボーカロイド。皆、ご挨拶は』
 「はい。初めまして」
 「初めましてー!」

 リンとミクの声が重なる。レンは静かにひとつ頭を下げただけだ。それでも彼は柔らかく微笑んで、ぺこりと頭を下げてくれた。ふわりと、カイトとしてのトレードマークともいえる長いマフラーが揺れた。黙っているとそうでもないのだけど、笑うとちょっと表情が幼くなるんだな、なんて思って。俺もこんな顔をしてるのかな……。
 自分の顔はプログラムとして知っているし、鏡だって見る。人間として外に存在はしていないけれど、人間のように行動することをマスターに求められているからだけど。……だから、自分の顔はわかるけど、自分の顔や表情が、他人に与える印象まではわからない。

 『ユウ、唄わせるのは後にして……カイトのこと、見せてもらっていいかな』
 『……何だ、気になるのか?』
 『うん、少し』

 珍しくマスターがわくわくしてるような、そんな弾んだ声だった。姉さんは紅茶を淹れにキッチンに言って、ユウさんが彼をソファに座らせる。そのすぐ横に立った2人は顔を見合わせ間に彼を置いたまま何事か話していた。それを交互に見上げている彼は不思議そうな表情で、時折わからないというように軽く首を傾げていて。
 こちらはといえば外に出られない以上これ以上はできることもなく、リンとミクは2人で今日唄うはずの歌を練習し始め、レンもそれに加わって柔らかいハーモニーが聞こえ始める。俺は、マスターとユウさんと彼が話している姿から何となく目を離せなくてそのままその場に座り込みながら背後に聞こえるハーモニーに加えて小さく唄い始めてみて。

 『……へー……すごいなぁ。髪とかすごい綺麗。高いだけあるね』
 『まぁ高いだけじゃねぇだろうがな』

 マスターの手が、彼の髪に触れる。……ちょっと前に、言ってた。俺の――ボーカロイドである『KAITO』の、青い髪が綺麗だから好きなんだ、って。言いながらすごく、やさしくマスターは微笑んでた。マスターは空が好きで、青いものが好きだ。マスターが持っている道具や装飾品に青が多いのはそのためだって言っていたのを思い出す。
 ずきり、と。
 ユウさんと初めて会ったときに感じたあの痛みがまた、した。こんどは、気がするんじゃなくて、本当にした。ふるりと首を軽く振って、気にしない気にしないと心の中で呟く。だって、痛いなんて感じない。痛いなんて思わない。俺は、ボーカロイドだから。身体がないのに、痛みなんて感じない。
 ふと、顔を上げた彼と目が合った。思わずそのまま視線を逸らす。視線を合せていられなかった。それがどうしてかわからずにそのまま背中を向けて、弟妹達が歌う音にあわせて歌に集中しようと耳を両手で覆って目を閉じた。

 だから、彼がじっと俺を見ていることになんて気づかなかった。

 その後、彼と俺たちとで歌を歌って、ついでにマスターが彼の調教もして、さらに姉さんが作った夕食を食べて二人は帰っていった。今度カイト同士でデュエットさせてみたいとか、そんな話とかもして。何でも、彼はかなり高い声とかも操るらしい。マスターが興味津々だった。外に出るときは普通の声にしてもらっているらしくて、今日話したときには俺とそんなに変わらない音程だったけれど。ちょっとだけ、俺もその高い声には興味ある、かなぁとか……。
 夜、まるで嵐が去って行ったかのように帰っていった2人を見送ったマスターは少しだけ疲れたような表情でいつもの定位置の椅子に座り、ディスプレイの前に佇んでいた俺たちを見回して微笑んだ。

 『皆、お疲れ様。ユウのカイトはどうだった?』

 表情に疲れが見えるものの、まだ楽しさの余韻が抜けきらない様子でにこやかに笑うマスターの言葉に、リンとミクは笑顔で手を取り合う。

 「あのね、お兄ちゃんとはやっぱり違う感じなのっ」
 「でも、カイト兄より歌はちょっと下手かなぁ」

 ミクが言って、リンが言う。レンはさほど気にした様子もなくただ見ているだけだ。レンが答えないのは何となくわかっていたんだろう、マスターがそうか、というように微笑んで頷く。そうして、その目が不意に俺の方を見た。目元が、柔らかく緩む。

 『カイトは?』
 「え、あ……あの」

 問いかけられて、声が出なかった。マスターのあの楽しそうな表情と、髪を触る優しい手つきが記憶のメモリから浮き上がってくる。ぐるぐると、頭の中や胸の中がかき回されるような、そんな感覚。乾くはずのない喉が、からからに干上がるってこんな感じだろうか。

 「……楽しかった、です。俺と、違う、感じで」

 言葉を絞り出す。口元に笑みを作る。ちゃんと、笑えているかが心配だったけど。視界が狭まるような、嫌な感覚。マスターの顔を、ちゃんと認識できない。エラー?
 不意に、ぐいとコートの袖を引かれた。視界が狭まって薄暗くなっていた視界が帰ってくる。見れば、俺を引っ張っていたのはレンで。

 「マスター。兄さん疲れたみたいだから、寝かせてくる」

 言うなりぐいと腕を引かれた。マスターの答えを聞かないレンは、俺とレンの部分だけ外部とのアクセスを遮断したようだった。転びかけ、体勢を整えながらレンに引かれるままに歩く。背後からはリンとミクの声。アクセスを遮断しているから、マスターの声は聞こえない。
 そのまま部屋という名のフォルダの前まで来て、レンは歩みを止めた。レンが振り返れば俺と視線が合う。少しだけ低い位置から見上げてくる青とも緑ともつかない、綺麗な色の目。

 「……レン?」
 「感情発達に時間がかかるのも、考えものだよね」

 ぼそりと一言だけ述べて。レンは俺を部屋の中へと押し込む。その際にぽいと俺と一緒にバナナを一本放りこみつつ「おやすみ。」と扉を閉めた。レンがここまで強引なのは珍しいけれど、おとなしく寝ておけ、ってことなんだろう。一緒に放り込まれたバナナは多分、レンなりの励ましのつもりなんだろう。……素直じゃないなぁ。
 バナナはとりあえず置いておいて、布団にくるまって目を閉じる。胸の奥、感情をつかさどっている部分がざわざわしておさまらない。感じたことのない感覚が、ひどく、気持ち悪いと感じた。

 この感情が「嫉妬」というものだと知るのは、まだ後の話。





2008/12/03 Ren Katase