Suicide Syndrome


 【きみのうまれたひ】

 何だか周囲が騒がしい。
 マスターからの調教の順番待ちをしている間、ぼんやりと以前もらったオリジナル曲の楽譜を眺める。
 騒がしいというか、慌ただしいというか?
 マスターは今はミクの調整中。リンとレンはお互いに顔を近づけてこそこそと小声で何かを話してはくすくすと笑っている。
 普段から明るいリンはともかく、普段はぶっきらぼうな印象のあるレンがあぁしてにこにこしているのは珍しいなぁ、なんてそんなことを思う。
 ふとこちらを見たリンと目があって、ひらりと手を振ったらびっくりしたように肩を跳ねさせて、それからぎこちなく手を振り返した。
 ……? そんなに驚かれると思っていなかったから目を瞬いて、その間にリンはふいっと俺か顔を背けてしまった。
 たまにはまぁ、そんなこともあるんだろう。うん。……ちょっと、寂しいけれど

 「お兄ちゃん、いいよー!」

 マスターたちがいる画面から目をそらして、背中を向けていたものだから、のしっと、背中に重み。さらりと視界の端で緑色の髪が揺れた。
 いやあの、そう乗られると動けない。

 「うん、ありがとう……ミク、動けない……」
 「あ! ごめんねお兄ちゃん!」

 ぱっとミクが離れる。ぱんぱんとコートの裾を払って立ち上がれば、妙に上機嫌にも見えるミクはにこにこと笑っていた。
 そうして、スカートの裾と長い髪を翻してリンとレンの元へとぱたぱたと走っていってしまう。
 それを見送ってから俺はディスプレイへと移動する。何か別な作業をしていたらしいマスターは口元に姉さんが淹れたものなんだろう紅茶を口に運びながら何かをじっと見つめていた。

 「マスター」
 『あぁ、来たねカイト。今日も元気そうで何よりだ』

 声をかければ、俺の方を向いてふうわりと笑う。優しげな面差しの中で、眼鏡の奥の薄茶色の瞳がそっと細められた。
 調教をするとき、マスターはいつも楽しそうだ。曰く、俺たちが上達していくのが楽しいらしい。

 『調教の前に……ミク、リン、レンー。おいで』
 「え?」

 きょとんと目を瞬く。ひょいとマスターの後ろから姉さんがディスプレイをのぞいて、それからマスターと視線を合わせてにこりと笑った。
 ぱたぱたと駆け寄ってきたミクとリン、レンが俺の横……ミクが右、リンとレンが左にたって、俺のことを見上げる。
 いったいどういうことなのかわからなくて思わず言葉を失う俺の横で、せーの、と声を掛け合ったリンとミクがぱぁん!と音を鳴らした。
 びくっと肩が跳ねる。そうして、視界に散った色とりどりの紙吹雪……クラッカー?
 きゃぁ、と喜ぶ妹たちを見て、それが合図だったのかマスターが柔らかく微笑んだ。口を開く。

 『お誕生日おめでとう、カイト』

 誕生、日?
 目を瞬けばはい、と横からレンが差し出したのは青いリボンがついたプレゼントの箱。逆からはミクが緑色のリボンがつけられた箱を差し出してくる。

 「誕生日……」
 『本当は、君をインストールした日がそうかもしれないんだけれどね。
  今日と……あと、17日か。公表されている発売日も誕生日、でいいと思うんだ』

 マスターはにこにこと機嫌良さげに笑う。
 俺は突然のことでちょっと理解するのにメモリが追いついて行かなくて、オーバーフローしそうな処理を何とか追いつかせて納得した。

 「で、でも、誕生日って普通ひとつなんじゃ!」

 思わず訴えれば、マスターは不思議そうに目を丸くした後、心底楽しげに破顔した。その表情が思った以上に子供っぽくて、思わずそのまま言葉を止めた。
 横から顔を覗かせていた姉さんがくすくすと笑った。ディスプレイに向けて指を伸ばしてきて、とんとんと指先でつつくようにした。

 『あたしもそう思ったんだけどね?』
 『誕生日が何回あったっていいじゃないか。たくさんお祝いできるよ』

 マスターの声と同時、レンの持っていたプレゼントの箱と、ミクの持っていた箱とがリボンが解かれる。二人の手に乗っていたのは、アイス型のクッションと、真新しいマフラー。

 「お誕生日おめでとう、カイト兄! これね、レンと一緒に選んだのよ!」
 「おめでと、兄さん。……アイス型なら喜ぶかなって」

 受け取れば、ふわりと柔らかく両手を包む感触。無性に嬉しくなって、ぎゅっとクッションを抱きしめた。
 それと同時に、柔らかく首元を覆うマフラーの布の触れる感触がして。ミクを見れば、照れたように笑った。

 「お誕生日おめでと、お兄ちゃん。お兄ちゃんと言えばやっぱり、マフラーかなって」

 俺たちに新しいとか古いとか、あんまり関係はないんだけど。だけど、そうやってものをくれるって言う、形に残るって言うものが嬉しくて笑い返す。

 『あたしは外にあるの。あんた用のマグカップ』

 姉さんはディスプレイの向こうから、青いマグカップを示して見せた。他にも黄色とオレンジ、緑、赤。俺たちのイメージカラーで統一されたそれを、俺たちから見える位置で並べて見せて。

 『いつかこっちに来たら、一緒に紅茶とか飲みましょ?』

 ぱちりと片目をウィンクしてみせる姉さんに笑い返して。そうすれば、全員の視線は自ずと最後……マスターへと向く。
 その視線を受け止めていたマスターはにこりと笑って。
 手元のマウスがかち、かちと音を立てた。
 俺の目の前の空間に現れる、小さな箱。俺が手を伸ばせばそれはすぅと消えて手元に収まった。
 ……楽譜、だ。

 『新曲。……カイトが中心で、全員で歌う曲だよ』

 俺の手元をのぞき込んでいたミクが、リンが、レンが顔を上げる。姉さんがあら、と珍しくも素っ頓狂な声を上げた。
 きゅうっと、胸が苦しくなる感覚。あぁでも、俺はこれを知ってる。この感情を知ってる。
 嬉しい、幸せ。そんな、感情だ。

 『改めて……誕生日おめでとう、カイト』

 ちょっとだけ、泣きたくなって。嬉しくて泣くなんて、あるんだなぁなんて思いながら、頭を下げる。

 「リンとレンも、ミクも、姉さんも、マスターも……ありがとうございます」

 また来年も、こうして、いられますように。



2009/02/14 Ren Katase