Suicide Syndrome


 【感情の行く先】

 『貴方の心を定めるのが、先よ』

 めぇの言葉を思い出す。……僕の、心を、定めること。
 自分の部屋に足を踏み入れる。高校から使っているこの部屋は、青とモノクロの家具で統一された、たぶん、普通の人から見ればずいぶんと殺風景な部屋だろう。何せものは少ないし、そんなに部屋も広くないしね。高校からずいぶんとたった今でも、この部屋には音作りと眠るとき以外はほとんど入ることがない。
 部屋にこもったりすることがもともと苦手だというのもあったんだろう。……だけど、考え事をするならばこの場所はぴったりだと思ってる。
 音作りに必要な機材がいくつか無造作に置かれた机の前、椅子に座って背もたれに身体を預ける。ぎしりと、音が響いた。
 瞼を伏せれば、そこに焼き付くのはあの青いボーカロイドの姿で。
 全員、同じように扱っているつもりだった。少なくとも、自分ではそう思っていた。
 確かに、いちばん好きな声はカイトだし、僕と似たようなトーンを持っているから、歌わせやすかった。昔、ユウと作った曲だって彼はとても歌いやすそうに歌ってくれた。……多分、彼の得意な音域が、僕とそんなに変わらないせいだろう。
 だからといって、それだから特別扱いしているつもりは、なかったのだけど。
 ……違う、か。僕には、彼はずいぶんと特別だったのかもしれない。
 リンやレン、ミクに渡したオリジナル曲は、彼女たちが歌える音が、僕の作る音とは全く違うから。……だけど、自分で作った曲を、リメイクするという方法も僕にはあったはずだった。
 だけど、それをしなかったのは?
 僕の昔の曲を見つけたリンとレンに、「大事な曲だから」と言ったのは、何故だった?
 そして、その大事だと言った曲を、カイトに渡したのは?
 ……きっと、そういうことなんだろう。認めてしまえば、それはとても簡単だ。
 ずいぶん前から恋や愛なんて、ずいぶんと遠いところにあるものだと思っていたのに。……30も過ぎて、恋を、するなんて。しかも、人間じゃない子に。
 違うかもしれない。これは彼への同情なのかもしれない。
 それでも、カイトを大切に思う気持ちは、この心だけは本当だ。自分に、嘘はつかない。

 「……カイト。君が言った言葉は、そういうことだよね?」

 人知れず、ぽつりと呟いてみる。
 ただ、ボディがほしいだけだというなら、普段の会話の端で言葉にするだろう。以前、ミクが僕に聞いたように。
 だけど、彼は触れたいと言った。……抱きつくことが彼の『好き』という方向の表現の仕方ならば、それは確実に『好意』を僕に向けてくれているということのはずだ。
 そうして、僕は……それに、答えたいと思う、から。
 カイトを特別に思う自分がいる。
 彼の、幼稚とも言える、彼の中に生まれた『嫉妬』という感情を、喜んでいる自分がいる。
 だから、僕は、僕の感情に嘘をつかない。……君の心に応えたいからこそ、応えよう。


 だからまず、君を眠りの底から連れ出さなければ。


 携帯で3コール。いつも通りの不機嫌な声。
 短く僕の名を呼んで何かあったかと問うから、僕はありのままを説明する。
 携帯の向こうで彼は沈黙して、しばらくして納得したような声を上げた。

 「彼を、連れ出す方法はあるかな?」
 『二つ。……ひとつは、無理矢理ボディに閉じこめる。正直、精神ルーチンに異常を来すかもしれねぇ方法だからあんまり知られてない』

 彼の声の後ろで、マスター?と呼ぶ、僕のカイトと同じだけれど、それよりも少しだけ高い声。
 あぁ、彼にもお礼を言わなければならないかもしれないね。彼のおかげで、僕のカイトが嫉妬を知ったのだから。本人にそんなことを言っても、驚かれるだけのような気がするけれど。

 『もうひとつは、誘引……って言えば早いか。それと近いボーカロイドを使って、誘い出す』

 そう言ってから、ユウはケイ、と小さく僕を呼ぶ。普段よりもひどく冷静な、真剣な声で。
 少しだけ、自分の言葉をためらうかのように、声を途切れさせてから。静かに、声を落とす。

 『お前は、カイトにどう応えるつもりだ』

 一瞬の沈黙。それから、自然と口元に笑みが浮かんだ。
 問われれば、答えるのは簡単だ。そうして、答えるのが簡単だと思う時点で、僕は、己の感情を自覚するべきなんだろう。

 「……僕も、彼が、好きだと」

 ユウの言葉が、止まる。
 唇は噛んだのだろう。数秒して、溜息が静かに聞こえた。
 ……ユウは、ボーカロイドに仕事として関わっている。だからこそ、僕の知らないボーカロイドとマスターの姿を見ているんだろう。
 それだから、人間とボーカロイドの恋愛を、あまり肯定しないことも、僕は知っている。

 『……いつか、離れることになってもか』
 「覚悟の上だよ」

 離れることは、わかっている。僕とボーカロイドでは、時間の流れは違う。ここで手を差し伸べても、また離れていくだろう。僕が死ぬか、彼が壊れるか。それはわからないけれど。
 だけど、カイトの傍にいたいと、思う。
 彼の言葉に、応えたいと思う。

 『……どうなっても、知らねぇぞ』
 「覚悟の上、だよ」

 低く、囁かれた言葉。それに同じ言葉で答える。
 通話口の向こうでユウは数秒、沈黙して。それから深く深く、溜息をついた。
 そうして、小さな声で馬鹿野郎。と呟くから、僕はそれに知ってる。と答えてみる。
 もう20年近い付き合いだ、ユウには、僕の気持ちがわかっているはず。……そうして僕も、ユウが何を言いたいかが、わかる。
 わかるからこそ、僕は、譲ることはできない。

 『……わかった、とりあえず……誘引作業すんのに、お前のとこのカイトに近い奴を使わないとならないんだけどな』

 カイトに、近い子? 誰にすればいいかな……ミクとかリン、レンよりも、ボーカロイドの型番としてはメイコの方が近いだろうしな、なんて思っていたら、通話口の向こうで声が響く。
 え、とかお前、とかそんなやり取りの後、あー、とか呟きが聞こえて。

 『……うちのカイトが誘引の手伝いしたいってよ』
 「お前のカイトが?」

 確かに、彼のカイトなら僕のカイトと同型だし、問題はないのかもしれないけれど。
 そこで、僕を手伝ってくれる理由が少し、わからない。別にそれがダメだというわけではないんだけれど。むしろ嬉しい。

 『……まぁ、大丈夫だとは思うけど。同型だから問題も少ないだろうし』

 ユウの説明によれば、誘引作業には同型の方がいいらしい。別型でも特に深く問題ではないなけれど、全く知らない相手だとどうしても精神的なものがずれたりすることもあるらしい。
 そうして、それがずれると誘引もうまく行かなかったりすることがあるらしい、とのこと。
 ……ユウが言うには、レアケースだから滅多にはないけれど、用心にこしたことがない、らしい。……あくまで伝聞だから、というのを付け加えて。
 おそらくは、同じところで働いているお姉さんからの話だろう。ユウはボディ側の仕事をしているから、精神構造に関しては少し齧ったぐらい、という……ただ、まぁ、僕を始めとした人間よりかはずっと知識がある男なのだけれど。

 『じゃあ、時間ができたら連絡くれよ。カイトを連れていくから』

 ユウの声と重なって、後ろからユウのカイトが「よろしくお願いしますっ」と声が聞こえた。
 ……ユウのカイトも素直で可愛いなぁ、なんてしみじみ思った。
 うん、僕のところがいちばん可愛いのは当然だけど。……別に、カイトだけじゃないよ。リンもレンも、メイコも。僕の大切なボーカロイドたちは、みんな可愛いと思っている。

 「うん、わかった。……よろしく頼むね」

 カイト、待っていて。
 自分でたどり着けないのは悔しいけれど、君をその眠りから、引き戻すから。



2009/03/22 Ren Katase