Suicide Syndrome


 【きみのすきなひと】

 「マスターって、兄さん贔屓だよな」

 ある日のこと。
 いきなりそうぽつりと言葉を落としたレンの顔をアタシは覗き込む。手に持ったミカンを一房口の中に放り込んで、そのまま首を傾げた。
 レンはアタシの表情に不満そうな表情のまま、いつも通りの仏頂面だ。

 「何を今更ー? あの曲を見つけた時点で、マスターがカイト兄のこと特別だって言ってるのはわかってたじゃない」
 「ま、そうだけど」

 ミク姉やアタシたちでも数ヶ月の単位でかかったマスターのオリジナル曲を、カイト兄はわずか半月で手に入れた。
 そして、それはアタシたちがあの日見つけた、マスターがとても大切にしていた曲。
 『これはダメだよ。歌わせる子は、決めてるから』
 微笑みながら言ったマスターの表情を覚えている。どこか楽しそうに、そうしてそれを待ちこがれているように。柔らかく眼鏡の奥の瞳を細めて、すごくすごく、幸せそうだったのを覚えている。
 それほどまでに思う曲を、カイト兄が初めてのオリジナル曲として持っていた。という事実ですでにマスターがカイト兄贔屓だというのはわかりそうなものなのに。

 「マスターだって贔屓してるのがわかってるから、アタシたちやミク姉を優先的に歌わせてくれるんじゃない」
 「……変な人間だよな。マスター」

 カイト兄を贔屓してるのは、見ているアタシたちにだってわかる。でも、その分だけマスターはアタシたちとミク姉を優先的に構ってくれるようになった。
 何せ、1日ごとのローテーションだったのが、2日とか3日続けてとかになって。完成が近くなればなるほど、マスターは濃い密度でアタシたちの調教をしてくれる。
 もともと完成が近くなるとすごく根を詰める人だって言うのがこのマスターと一緒にいる1年でわかったつもりだから、寝る必要性のないアタシたちがマスターを止めなければならない、っていうこともあるんだけれど。
 本来、構ってもらえる時間が増えたなら、その分アタシたちは喜ぶべきなんだけれど。レンの顔は優れない。いつもの仏頂面に加えて、眉間に刻まれた深い深い皺。頬杖をついた視線の先は、どこともわからない中空だ。

 「……いっつも思うんだけどさぁ」
 「何」
 「レン、マスターのこと嫌い?」

 思ったことをすぱっと口に出す。
 レンはアタシと同じ色の目をきょとんと見開いたまま数秒固まって。いつも寄ってる眉間の皺をなおさら深くした。図星のときによくする表情だ。アタシにはわかる。だって、アタシはレンの半分だから。

 「少なくとも、得意じゃないでしょ。それとも、構ってもらいたいの?」

 反抗というには弱い。気を引きたいというには間違ってる。
 そんなレンの様子を『年齢設定らしい思春期だね』とマスターはのほほんと笑っていたけど、ボーカロイドはマスターとの関係性だって大切だ。本当ならレンはアンインストールされたっておかしくない態度をマスターにしてる。
 でもマスターはそんなことをしない。どんな態度だって、それが個性と笑ってる。
 カイト兄のことなんてきっと話のキッカケで、マスターが気に食わないのか、それとも構ってほしいのか。そこまではアタシもよくわからない。

 「確かに、得意じゃねぇけど。……つか、構ってもらいたいってのはない。オレにはリンがいるし」
 「嘘はよくないよー? アタシ知ってるんだから」

 不機嫌そうな表情。拗ねた子供みたいに見えた。アタシと同い年のはずなのに。っていうかその言葉はアタシに構ってもらえればいいってことなのか。とりあえずぷるぷると首を振って、レンの言葉を否定すればレンがじろりとこちらを見てきた。
 やっぱりレンはあの誰にでも優しいマスターがちょっと苦手みたいなんだなぁ。マスター、優しいけど、優しいだけだっていうか。……まぁ、わからなくもないけど。
 そうして、アタシはともかくとして本当はカイト兄にだってマスターにだってメイ姉にだって構われたいはずなんだ。……素直じゃないんだから。
 とまぁ、それは置いておくにして。

 「何を」
 「誰にいちばん構ってもらいたいか」

 レンは不機嫌そうな表情のままアタシに問い返してくる。アタシが言った答えに睨むような視線ではあるけれど、どこか困ったような、難しい表情にも見えた。アタシもこんな顔、できるんだろうか。
 アタシの言葉にレンは不思議そうな言葉では?と呟いて。……それにしても、アタシが気づいてること知らないのか。てっきりわかっているものだと思っていたのに。だかじゃぁ、とさらっと口にして見せた。

 「ミク姉のこと好きでしょ」

 すぱっと言い切ったアタシの言葉に、きょとんと目を瞬いていたレンの頬がたちまちかぁぁと赤くなる。そうして、え、とかあ、とかそんな声を発して。……思えば、ミク姉と会ってから、ずーっと片思いだったもんねぇ。
 思わずうふふー、と笑うと気持ち悪い笑い方するなと怒られた。ちぇ。
 綺麗な高音で歌うミク姉は、アタシにとっても自慢の姉だ。マスターはミク姉との調声時間は思ったよりも意外と少ない。何でも、ミク姉は素直だから調声しやすいっていうことみたい。……ちなみに、アタシたちはじゃじゃ馬だそうですよー。いいけどっ。

 「……っていうか、何でリンが知ってるんだよ」

 赤い頬を隠すようにして自分の頬に手を当てて、そっぽを向いたレンが呟く。落ち着いたのか落ち着いてないのか、表情はどっちかわからないけれど。その問いかけにアタシは笑顔で返してやる。

 「そりゃぁ、アタシたちは対ですから」

 双子と普通は言われているけれど。それよりももっともっと深くで、アタシとレンは繋がってる。アタシはレンの、レンはアタシの気持ちが何となくわかる、ぐらいではあるけど。
 だからこそ、ミク姉への気持ちはわかったとも言えるんだよね。それじゃなくても、レンの目線で何となくわかりそうなものなんだけれど。

 「……ミク姉には言うなよ」
 「言わないよー。……応援はしてるっ」

 ぐっと親指を立てながら笑ってみせれば、レンは仏頂面を少しだけ緩めたようだった。ちゃっと拳を差し出せば、その拳に拳を当ててくる。そうして、ふたりで笑いあった。

 大切な人が、大切な人といるのがいちばんアタシには嬉しいの。
 だから、マスターはカイト兄と。レンはミク姉と。
 メイコ姉は……大切な人がいるって言っていたし。
 アタシにも、ほんの少し。気になってる人がいる。
 そうやって大切な人と一緒にいられるように……って、思うだけなんだけど。
 いつか、みんなが、笑いあえればいい、な。



2009/04/02 Ren Katase