否定の言葉を聞きたくなかった。
だからと言って、肯定されることも望んでいなかった。
肯定も否定も嫌だった。
……こんな俺は、我儘なんでしょうか。
「……ごめん、なさい」
好きになってしまったら。特別だと思ってしまったら。
俺も――いつかどこかで見たボーカロイドのように、壊れてしまうんじゃないかって。
マスターを、俺の、手で……壊して、しまうんじゃないか、って。
それだけは嫌だった。
「カイト」
ごめんなさい、と繰り返す。首を振って、マスターがの顔が見えなくて。
ダメだと、ただそれだけを思った。きっと、嫌われてしまうって、そう思った。
ぷつん。
そんな音と一緒に、発作的に自分とマスターの間の回線を切断した。消えてしまう一瞬、涙でうるんだ視界の先、マスターが俺へと手を伸ばしていた姿が見えたような気がした。
+++
闇の中へと身を落とす。眠るように目を閉じて、膝を抱える。
呼ぶ声が聞こえたような気がして、でも目を覚ますことができなくて。
だって目を覚ましても、マスターと目を合わせるようなことができない。……マスターは、俺を、きっと嫌うんだろうと、思って。苦しいけれど、俺はボーカロイドだから、マスターにそんな思いを抱くのがそもそも、間違っているんだ。
目を閉じているのが楽になってしまったから、そのまま身体を、そして意識を闇の中へと沈めていく。
もう、目覚めなければ、俺がマスターを傷つけることはないのでしょうか。
意識がうっすらと浮上しては、また落ちていく。そんな繰り返し。沈んでいるのが楽で、何も考えないでいるのが楽で。このまま、ずっと眠ってしまえばいい。
『……』
声。
塞いだはずの耳に声が届いたような気がした。だけど俺は目を開けない。膝を抱えたまま、ただ目を閉じて闇に身を委ね続ける。
ふわりと、頬を何かが掠めるような感触。ゆっくりと掌の感触が頬に触れたような気がして、俺はそっと目を開いた。
『見つけた、「カイト」』
届いたのは、同じ響きを持つ違う声。開いた視線の先、海のような色が、見えた。
何もない闇の中、闇であるはずなのに視界に映るのは柔らかく揺れた髪と、至近距離で微笑む俺と同じ色だけれど、どこか違う色の目。近づいた表情は、俺と同じ――『カイト』。
何で、と思うのも一瞬で、彼はどこかほっとしたような様子で目元を柔らかく細めて見せる。
『帰ろう。……君のマスターも、待ってる』
待ってる……? そんなこと、ない。
俺の感情なんて、マスターにはきっと迷惑なだけで、マスターは誰か、それこそ姉さんみたいな綺麗な女の人と恋人になった方が、よくて。
でも……俺は、そんなの、嫌、で。
こんな感情――マスターに、嫌われるだけじゃないの、かな。
『……そんなこと、ないよ』
頬を、掌が包む感覚。額同士が触れ合って、微かな温もりが伝わってくる。ここは、少なくともPCの内部だから、彼との温もりなんて伝わらないはずなのに。
感情と意識と思考はすべて彼に伝わって、言葉に出さずとも届いていく。不思議な感覚に視線を上げる。目が合えば、彼はそっと微笑んで。
『……君が思うよりずっと、あの人は、君が好きだよ』
囁くように、そう告げた。その表情がどこか悲しげで、羨ましげにも見えて。切ない、というんだろうか。……そんな、表情をしていた。
信じて、いいのかな。マスターが、俺のことを好きだって。
信じて、いいのかな。マスターが、俺のことを待っていてくれるって。
『大丈夫。帰ろう?』
彼の声が、繰り返す。頬からそっと手が離れて、差し伸べられる掌。……取れば、帰れる……?
マスターのところに、かえる。
耳の奥で思い出すのは、マスターのあのやさしくて穏やかな声だ。……やさしく響く、きれいな声。
『帰ろう。……君のマスターのところに、帰ろう』
彼は言葉を繰り返す。強制する素振りもなく、ただ、俺が彼の手を取るのだけを待っている。じっと、こちらを見るのは海のような色の目だ。
マスターは、俺を……受け入れて、くれるかな。
『もちろんだよ。そうじゃなければ、君を連れ戻したいなんて思わないだろう?』
手を差し伸べたまま、彼は言う。
だから、俺もそっと手を伸ばした。指先が触れて、掌同士がしっかりとつかみ合って。
『手を離しちゃダメだよ。……絶対に』
そうして……意識が、白い闇に飲み込まれた。
2009/06/08 Ren Katase