Suicide Syndrome


 【君の目覚めを待ちながら】

 ユウの『カイト』による誘引作業は成功したらしい。
 ボディとの接続を開始する旨の表示を見せたPCの画面を眺めて、ユウはひとつ満足そうに口元を緩めながら頷く。その横で目を覚ましたユウのカイトがぱちぱちと目を瞬いて、まだPCの内部から外へと戻ってきたことに慣れていないのか、ちょっとだけくらくらしているように見えた。それでも彼は僕と視線が合うとどこか幸せそうに口元にほんの少しの笑みを浮かべたのが印象的で。

 「後は、他のボーカロイドでやったと同じだ」
 「うん、わかった。ありがとう」

 礼を述べれば、ユウは立ち上がり、こきこきと首を鳴らしながら傾げれば落ち着いたらしい彼につぃと視線をやる。そうすれば彼はその視線に気づいて、頷きながら立ち上がった。マフラーとコートを手で軽く直して軽く払う仕草。
 ……ふと、その動作を行っている彼の表情に、違和感を感じた。
 彼は――こんな、感情を抑えたような表情をする存在だったろうか?

 「じゃ、オレはこれで帰るぜ。……カイト、帰るぞ」
 「はい、マスター」

 考えはユウの言葉にかき消されてしまう。僕が立ち上がる間すらなく、ひらりとユウは手を振りながら僕に背中を向けてさっさとリビングを出て行ってしまう。マフラーを直していた彼がそれを追おうとして。……ふと、リビングの扉に手をかけて立ち止まった。
 ふわりとマフラーの端と青い髪を揺らして、僕を振り返る。どこか困ったような、泣き出しそうな。それでも、とても優しい……そんな表情で微笑んだ。

 「……彼のこと、しあわせにしてあげてください、ね」

 ぽそりと、おそらくユウには聞こえないようにの配慮なのかもしれないけれど、小さく囁かれた言葉。……この子も、気づいていたのか。……もしかしたら、誘引作業を手伝ってくれたのは、それを知っていたから。だから、手伝ってのくれたのかな。それならば、嬉しいけれど。
 答える間もなく彼はユウにカイト、と名を呼ばれてそのままぺこりと頭を下げて、急ぎ足で僕の前から姿を消してしまう。
 残された僕の耳に届く、扉の閉まる音と、遠ざかる足音、そして静まり返る室内で刻む時計の音。立ち上がりかけた腰を落として、ソファで眠るようにしている僕のカイトを振り返る。ソファに横たえられた、青い髪、白いコートの姿。ボーカロイドというだけあって人ではないその姿は眉毛から睫毛まで青くて、人でないことを現すように綺麗に整っていた。
 そっと頬に手を伸ばせば、体温はあるらしく(人間が触れたときに違和感を感じないためだとか)ほんのりと頬に赤みがさしていて肌の感触は柔らかく、僕と彼の体温が混ざりあうのが指先から伝わってくる。そっとその頬を撫でて、顔を覗き込むようにした。……机の上のPCの表示は、まだ終わりそうにない。
 メイコやリン、レン、ミクは出かけて行った。メイコとミクに誘われたときに、彼をインストールしたときに傍にいることを何よりも望んだリンとレンが何も言わなかったところを見れば、おそらくみんな気付いているんだろう。……そうして、だからこそ、僕とこの子を二人きりにしようという魂胆なんだろうと思う。本当に、やさしい子たちだと思う。

 「……ねぇ、カイト」

 メイコも、ミクも、リンも、レンも。僕には勿体ないぐらいやさしい子たちだ。僕がたったひとりを選んだことにだって何も言わないし、何も言うこともないだろう――多分、これからも。そんなことを思いながらゆっくりと手を離す。さらりと指先が青い髪に触れて、その髪がカイトの頬に触れて柔らかく落ちた。

 「本当は、ユウの言葉だって、一理あると思っていたんだ」

 人とボーカロイドの間に、恋愛感情があったとして――それが、幸せだけでないということも。
 ボーカロイドはあくまでも「モノ」だ。人として認識されることはなく、それゆえ彼らには人権もない。そうして、彼らは器物でしかない。……ヒトの姿をした、ヒトと同じようにふるまう存在であっても彼らは『ヒト』ではないということ。モノに対して恋愛感情を抱く、なんていうことは本来はおかしいことなんだろう。愛着を覚えるということはあっても、恋をする、愛する。……人間と同じ存在とは見れないのが普通だ。
 掌を滑らせ、髪に触れる。柔らかいそれは、人間と感触がほとんど変わらない。他の子たちに触れた時も思ったけれど、最近のボーカロイドボディは随分と高度になっていて、どんどん人間と変わらなくなってきているとか。めぇの時にも驚いたものだけれど、技術は進歩しているんだなぁなんて、そんなことをつくづく思う。
 眠るように目を閉じているカイトの姿は、いつか僕がまだミクを迎えてすぐのころ、店頭で見かけたボディの姿によく似ていた。……同型なのだから、同じなはずなのだけれど。どこか、何かが違っていると思ってしまうのは、僕が君の『マスター』であり、君が僕の……僕だけの『カイト』だからだろうか。
 カイトに語りかけるように口を開く。この声が早く、届けばいいと思う。

 「だけど……僕は、君を選んだ」
 「……君の言葉に、応えたいと思ったんだ」

 手を伸ばせば、君は届く位置にいたんだ。笑って、拗ねて、怒って、泣いて……人間じゃない君が、人間のように振舞って、ボーカロイドである君が、人間のように恋をする。
 ……しかもそれが、僕に対して、だなんて。
 僕は、知っている。ボーカロイドが、人間に対して恋をすることを。だけどそれが、自分に向けられるなんて思ってもみなかった。そもそも、君が僕を見てくれるなんて、マスターとボーカロイド以上になるなんて、思ってもみなかったから。
 だからかもしれないね。人間に程近い、人間ではない君が作るその感情たちを、愛しく思った。
 PCの表示は、徐々にフルに近づいていく。ゲージが増えていくにつれて、自分の期待が高まっていくのがなんとなく、わかる。高まる期待と、この子を見てみたいと思う、感覚。彼の手をとり、ゆっくりと握る。ほのかに伝わる体温に、ほんの少しだけ安心して。

 「……?」
 
 目をPCに向ける。ゲージがフルになってもなお、表示が変わらない。カイトが目を覚ます様子もなく。思わず眉を寄せて取っていた掌に少しだけ、力を込める。閉ざした瞼、動かない姿。
 繋いだ掌、蒼い爪と、細く長い白い指。その指先を自分の額に押し当てる。そっと、目を閉じた。
 
 「……カイト」
 
 小さな声で、呼びかけた。聞こえるかどうかわからないまま、口を開いて。
 聞こえるかい、カイト。僕の声が、君の耳に届くかい?
 
 「帰っておいで、カイト。……僕のところに、戻っておいで」
 
 そっと目を開く。もう一度、掌を握りしめて。
 怒ったりしないよ、君をただ、待っているんだ。僕だけでなく……めぇも、ミクも、リンも、レンも、……きっと、ユウと、ユウのカイトも。みんな、君を待っているから、帰っておいで。

 ……目を覚ましてくれたら、抱きしめて。
 そうして、言えなかった分の好きを、君にあげよう。
 僕の、最愛のボーカロイド。

 <System compleat -- ボディとの接続が完了しました>
 <VOC@LOID - 01 - 02 / KAITO 起動します>

 青い目が、開く。



2010/01/31 Ren Katase