Suicide Syndrome


 【2nd Day】

 突然だが、ボーカロイドにはジェンダーファクターって言うものがある。
 その数値を上げれば男性的な声、下げれば女性的な声になると言うパラメーターだ。普通ならそんなに使わない。そんなに知らない人間が使うと悲惨なことになる――特に上げると。おっさん声とかよく言われる。
 が。
 KAITOと言うこのボーカロイドに関してだけ言えば、このジェンダーファクター、たいそう意味があるものになったりする。ジェンダーファクターを下げて女性的な声にしたその存在を、どこが原型なのかは知らんが「KAIKO」と呼んで、しかもそれが需要ありときたもんだ。
 ……聞く人が聞けば野郎の裏声なんだがまぁそこはそれだ。
 「カイト」
 「はい、マスター」
 カイトは普段、何が面白いのか窓辺に陣取って窓の外を眺めている。まぁ結構高い位置にあるし、西にある窓だから夕暮れは綺麗に見えるが……楽しいのか?
 呼びかければ柔らかく笑みを浮かべてオレを見た。窓枠に腰掛けて少し浮いていた足をおろしてデスク前の椅子に座っていたオレの前までゆったりとした動きで歩いてくる。ゆらゆらと長いマフラーと白いコートの裾が揺れた。
 「……ひとつ疑問なんだが」
 眉を寄せて首を傾げる。随分と神妙な表情に見えたのか、オレを見ていたカイトの表情が不安げなものになった。……そんな泣きそうな顔すんな。
 「カイコにしてもボディは何も変わらないよな?」
 オレの問いにカイトは青い目を大きくして瞬いた。あ、なるほどこういう顔するとずいぶん幼い印象になる。そうして一拍おいてから弾かれたように笑いだした。
 つか、マジで意外。こんな表情する奴だったんだな、カイトって。ケイのとこのカイトはもう少しおとなしいって言うか……静かに笑ってるタイプだったせいかもしれないが。
 「はい、マスター。そんなことはありません。僕のボディは最初に決められた通りですから」
 涙でも出たのか目の端を細い指先で拭ってカイトは言う。まだ面白いのかくすくすと笑い続ける姿に何だか真剣に考えていたオレが馬鹿らしくなって肩の力がすとんと抜けた。そうか、と笑い返せば上機嫌ではいと笑った。
 ボディは変わらない、か。
 「……まぁお前なら小さいからいいか」
 うちのカイトの身長は世の中一般で出回るカイトよりも小さくできている。通常のカイトはだいたい170から175センチ程度だが、うちのカイトは目測160から165センチぐらいだろう。これはオレが親に進言した結果だが。ついでに言うならボーカロイドたちは揃いも揃って見た目が綺麗だ。女性型であるミクやリン、メイコに限らずカイトとレンも綺麗な顔にできてる。中性的、とでもいうのか。
 つまり。それなら女性でも何ら変なことはないわけだ。
 「……え?」
 にこにことしていたカイトが固まる。何となく気づいたかもしれないがそこは知らん。カイトに背を向けてエディタ上のパラメーターの中、ジェンダーファクターを操作する。後はレゾナンスを少々。エディタの中の声を確かめて、そのデータを保存してやればすぐ傍らにいるカイトの肩が震えた。たぶんパラメーターで自分の声が何となくわかるんだろう。
 「カイト」
 「……」
 カイトは口を開かない。ただじぃっとオレを睨むような目つきで見てる。手のひらで喉を押さえて、物言いたげな表情。そんなに声を出したくないか。まぁその声じゃ出したくないのはわからなくはないけどな。見た目は男だし……身長小さいけど。オレより20センチ近く。
 「カーイト」
 だけどもう一度名前を呼んでやれば、少しだけ目が潤んだように見えたのは気のせいか。喉から手のひらをはずしてぎゅっと自分のコートを握り、ゆっくりと口を開いた。
 「……はい、マスター」
 ……おし、ビンゴ。
 答えた声はどこか中性的な響きを残した柔らかな高い声。少女とは行かなくても声はどこか女性的だ。まぁ見た目が顔が綺麗とは言ってもまったくもって男性そのものだから、今のところ『高い声の男』にしか見えないわけだが。
 「マスター。僕は男です。こんなことしてどうするんですか」
 「いいじゃねぇか可愛いんだし。カイコ可愛いからカイトを持つなら一度やってみたくてなぁ」
 どこだったかの動画で『KAIKO』と呼ばれるカイトを見かけてからというもの、ウチのカイトでそれができないかと思ってたんだよな。だって可愛いじゃないか。オレだって健全な野郎です、憎まれ口叩く野郎より、可愛らしい女の子……いやまぁカイコはある意味男だけど、少なくとも見た目だけでも可愛らしい子に憎まれ口叩かれたほうがまだ気分もいいってもので。
 ふてくされるカイトについでに追い打ちをかけてみる。
 「ついでに服もあるんだが」
 「……着ろって言うんですか?」
 じろり、と青い瞳がねめつけてくる。……うーん、機嫌が悪い。ならば、と片手の指を立ててカイトに向ける。
 「着てくれたらダッツ一週間」
 「一ヶ月」
 オレの前に佇んだカイトはオレの提案に間髪入れずに答えをよこす。……一か月は、ちょっときついぞ。だいたいダッツは最近値上げしたじゃねぇか。だけどオレの強情張りなカイトのことだ、一ヶ月から譲りやしないんだろう。
 しばし頭の中で財布と給料との計算をしてみる。……煙草の量減らせば、なんとかなるかな……?
 「一ヶ月ぐらい、マスターが煙草を我慢すれば済む話です」
 うぉ、見抜かれた。にしても高い声で断言されるとなんだか罪悪感がするのは何でだ。煙草とカイコとを天秤にかけて――結局カイコを取るオレはある意味で間違ってるかもしれない。
 カイトにカイコの衣装を渡して寝室に追い込む。一ヶ月ダッツをOKしたオレが意外だったのかちょっと不満そうだったのは気のせいだと思う。煙草をくわえようと思って手を止める。……節約しないとオレが死ぬ。
 少しして、かちり、と寝室のドアノブが動いた。カイトが顔だけを少し出して、オレを窺うようにしてる。来い来いと手を招けば頬を赤く染めながらゆっくりと寝室から出てきた。
 「……ほー」
 思わず口から感嘆の溜息が漏れた。綺麗な青い髪と目に、白い縁飾りのついた膝よりわずかに上の黒のワンピース、足元は白のニーソックス。カイトの状態でもトレードマークになっているマフラーは首の横で蝶々結び。短いスカートで足元がすーすーするのかスカートの端を掴んで下げる仕草が何か、えろい。
 あとはその睨むような目つきをやめればいいのになー……とか思うんだが、ダッツの為にしぶしぶ着てるんだもんな、睨みたくもなるよなと冷静に考える自分が憎い。っていうかケイのとこのカイトだったら素直に着るのかなーなんて考える自分が嫌だ。ケイのとこのカイトはおとなしくて素直っぽいから思わずそんな風に考えてしまうわけだ。……他意はない。あったらオレがケイに殺される。あいつのカイトへの執着は異常だと思うんだが。
 「着たから、もういいでしょうっ……?」
 そう言ってカイトはオレに恨めしげな視線を向けてくる。勿体無い。そう思いながら手を伸ばして、腕の中に抱き込んだ。びくりと震えたカイトの身体が硬直するのがわかって、息を呑む音。抱き込んでみれば見た目は女性のようでもやっぱり男性の身体。ちょっとばかし骨ばった、細い身体だ。
 ま、あくまで女装にしか過ぎないわけだから、女性のようなあの柔らかい身体を想像する方が間違ってるんだがなー……なんて思っていたら、黒い手袋に包まれた手がオレの胸を押し返した。見れば、俯いたカイトの顔は青い髪に隠れて見えない。
 「カイト?」
 「離して、ください」
 静かな、それでいてはっきりとした拒絶の言葉。今まで数日カイトと一緒にいて、こんなはっきりとした拒絶は初めてなんじゃないかと思う。……いや、多分、初めてだ。抱きしめた腕を緩めれば、カイトの表情はどこか困ったような泣き出しそうなような照れたような……そんな感情が入り混じった複雑な表情をしていた。
 緩めた腕を下ろせば、カイトはオレを見ずにそのまま一歩、オレから距離を取った。そのままくるりと踵を返す。
 「……着替えて、来ますね」
 短く言えば静止の言葉をかける間もなく寝室へと飛び込んでいった。
 ……出てきたときにはいつも通りのカイトだったわけだが。あの一瞬がどうにも、頭に引っかかって取れそうになかった。



2008/10/25 Ren Katase