ボーカロイドがPC内に引きこもるというのは、ボディを持たないボーカロイドたちの中でよくある話だ。……少なくとも、そんなに物珍しい、という話でもない。
何らかの事情やトラブルでPC内に置き去りになったり、ボディに移行しようとしてもできなくなったり。中にはボディの中に閉じこもってしまう奴だっているぐらいだ。今のところ、それを完全に起こさないと言うことはまだできそうにない。
そのため、誘引作業はメンテナンスセンターでも行っているし、そのためにメンテナンスセンターで働くボーカロイドも複数存在している。
カイトを連れて車に乗る。道を走らせていけば、後部座席に乗ったカイトがあれ?と声を上げた。マスター、とオレを呼ぶからバックミラーで促すようにちらりと視線を向ける。
「マスター、この道いつもケイさんの家に行く道と違いますよ?」
カイトが言うのも無理はない。オレはこの道を通るのが二度目になるが、一度目はカイトを連れていかなかった。まぁ、連れて行けなかった理由があるんだけれどな。だから、カイトのメモリの中にある道のりとは全然違うはずだ。
……ま、それには理由があるんだけどな。
「あぁ、あいつ、引っ越したんだ」
「引っ越し?」
バックミラー越しに、カイトがきょとんと青い瞳を瞬いたのが見えた。不思議そうな声に子供を見ているようだと無意識に笑みをこぼしてしまう。
「そう。……もっと、広い家にな」
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ケイから引っ越ししたという報をもらったのはもう一週間ぐらい前の話になる。誘引作業をするために必要なものを持って行ったのが前回。そうして、誘引作業が今日。
……まぁ、数日、間があいたのは、オレとあいつの仕事の都合がつかなかったせいなんだが。
車を止める。前のマンションとは違って、ついた家は3階建ての家だった。1階は店……ケイのやっている喫茶店で、2階、3階が内部で繋がっている住居。店の脇に車を止めて、2階へ繋がる階段へとカイトを連れてあがっていく。
真新しい白い扉の横、インターホンを鳴らすとはーい、と中から声がした。ぱたぱたと複数の足跡が響いて、がちゃり、と扉が開く。その奥にいたのは……メイコと、リン、レン、ミク。
「え……!」
背後で驚くカイトの声。それもそうだ、カイトと初めて会ったとき、メイコ以外の3人にはボディがなかったんだからな。
これが、『必要なもの』のうちのひとつ。
引っ越したという連絡をもらってすぐ、ケイが予約していたボディの代金の振り込みがあったという連絡をもらった。メンテナンスセンターに寄ってからリン、レン、ミク、カイトと4人分のボディを車に乗せて、ここまで運んできたってわけ。
いくら時間かけて金貯めたとか、親の……まぁこれはいいとしても、家建てて、ボーカロイドボディを4体とか……金持ちだなぁ、あいつ……なんて、しみじみしてしまう。かといって、ケイ本人に言ったら「お前もだろう?」とか真顔で言われるのは目に見えてやがる。
「よー、4人とも。めーこはともかく、他の3人はボディの具合はどうだ?」
「うん、大丈夫!」
「全然平気!」
ともかくとは何よ、と言葉とは裏腹に楽しそうな様子で拗ねたようにいうメイコを見たリンとミクは笑顔で答えて、レンはこくりと頷くだけ。
驚いたらしいカイトをちらりと窺えば、驚いたのか目を丸くしている。だけどややあって納得したのかふぅ、と小さく吐息を落としてオレを見る。何か物言いたげな様子ではあるが、あえて放っておくことにする。
「ケイは?」
「中にいるわ。私たちはこれから出かけるところ」
出かける? きょとんと目を瞬けば、メイコは悪戯っぽい笑みを浮かべて人差し指の指先を立てて見せる。そうして、オレの耳元に唇を寄せて、静かな声で囁いて。
「ふたりっきりにさせてあげようと思ったの」
なるほど。おそらくはわかってんだろうなぁ……ミクはこっちを見てにこにこと笑っている。ミクはともかく、リンとレンに言わないところを見ればおそらく、ミクとメイコはわかっているんだろう。……まぁ、それでこいつらがいいならいいか。リンとレンも、気づいているんだろうけど。
……ボーカロイドたちが認めているなら、仲として正しいのかもしれない、けど……もう、どうしようもない、よなぁと、思う。オレには、止めることも、言葉にすることも、できやしない。
「じゃ、行ってきまーす」
ひらりと各々に手を振って、4人が出ていく。それを手を振って見送って、お邪魔しますと声をかけながら玄関から中に足を踏み入れる。後ろからカイトが来ていることを確認して、リビングの扉から足を踏み入れた。
前のマンションよりもリビングは随分と広く感じた。たぶん、ボディ持ちボーカロイドが5人にもなるから、その分広く取ったんだろう……この金持ちが。
「ユウ」
リビングに足を踏み入れれば、いつものケイの声。ソファの肘掛けに腰掛けて、オレを見てやんわりと笑った。……その姿がいつも通りで、……別に、オレが何を言うべきことでもないんだろうけどな。
「よう、ケイ」
「こんにちは、ケイさん」
手をあげたオレの後ろでカイトが頭を下げたようだった。視界の端でいつものあの長い青いマフラーが揺れる。僅かに後ろにいるカイトに視線を向けてからまたケイに視線を戻す。
ケイの横に、ソファに横たえられているよく見知ったボーカロイドの姿。ソファの背もたれの辺りに回ったカイトがどこかわくわくしたような表情でその眠っているような姿の『カイト』を覗き見るようにした。
「何でここに置いてんだ?」
「あの箱の中じゃ色気ないし、ベッドに寝かせておくのも何となく微妙だったからね……起きたらすぐに傍にいられるだろう?」
……恥ずかしい奴。ケイの言葉は無視することにして床に鞄を置いて、そこからいくつかケーブルや道具を取り出す。まだ眠っている『カイト』をまじまじと見ているオレのカイトを手招いて呼ぶ。
手招くだけでわかったのか、気づいたカイトがオレの傍へと駆け寄ってくる。声はかけずにすぐ傍のダイニングテーブルの椅子を引っ張ってきてカイトを座らせて、かちかちと手際よく繋いでいく。
PCとカイト、そうしてケイの『カイト』。PCを介して両方を繋いで……後は、カイトをケイのPC内におろしてケイの『カイト』を表面上に引きずり出してやるだけだ。ケイの『カイト』とボディは繋がれているから、表面上に出て来さえすれば、そのままボディに繋がる、ということだ。
……もちろん、色々他にも理由はあるが。その辺は説明するのが面倒だからいい。
「カイト、説明したな?」
「……はい、大丈夫です。きっと、彼を連れて戻って来ます」
肩を叩いてカイトに言えば、カイトは口元に少しだけ笑みを浮かべて、ほんの少しだけ頷いた。……最近、様子がおかしいような、気もしているんだが……何がおかしいのかが、よくわからない。
違うという感覚はある。その感じる違和感の正体が見えないのが少し、気になる。ボディが専門のオレと違って、精神部分の専門な姉貴ならばわかるのかもしれないし、次のメンテナンスの時にでも聞いてみることにするか。
「……頼むね」
ケイが微笑んで、それに頷いたカイトが目を閉じる。かちん、とスイッチを押してプログラムを起動させればカイトの手のひらが膝からかくんと身体の横に滑り落ちた。
見た目は眠っているだけに見えて、実際にはPCの内部へと『落ちて』いく感覚だとメンテナンスセンターにいたボーカロイドのひとりが言っていたような気がする。
あるボーカロイドは闇の中へ『落ちて』行くと言い、あるボーカロイドは空へと『飛ぶ』と言う。感じ方もボーカロイドそれぞれで、それぞれの特有なのかもしれない。
眠るように動かないカイトを眺めてから、ふとケイに視線を移す。ケイはすでにオレのカイトから目は離していた。
「……ケイ」
「僕は、二度は言わないよ」
眠るようにしている自分の『カイト』をじっと見下ろし、時々頬でも撫でてやってるんだろう下ろした手の先を見て笑みを浮かべながらもオレを見ることはなく、ケイはただそう言葉を返してくる。
10年も過ぎた付き合いだから、こいつの頑固さはわかっているはずだったんだが……それでも、こいつが『選んだ』ことが気になって仕方ない。
脳裏に浮かぶのは、オレが見てきた、壊れていったボーカロイドたち。そして、それと同じだけボーカロイドを失って嘆くマスターたち。
あるボーカロイドは、マスターを失い、アンインストールを拒否して、己から破棄を望んだ。
別な一体は、己のマスターを愛しすぎて、己の手で殺めてしまった。
あるマスターは、自らのボーカロイドを壊して、そうしてそのボーカロイドと共に逝くことを選択した。
別のマスターは、壊れた自分のボーカロイドを見て、精神的に病んでしまった。
……決して、事象は少なくはない。もちろん、毎日かつぎ込まれるほど多くもない。だが、そうした『事実』を知っているからこそ、……人間とボーカロイドの間に恋愛感情なんて破滅が待っていると。そう、思う。
「だけど、お前な……」
「……お前、僕に聞いたね。どう応えるつもりだ、って」
ケイの視線はカイトから離れない。自分のカイトを幸せそうに眺めていたその顔をゆっくりとあげて、少しだけ色の薄い茶色の瞳がオレを見た。視線が、絡む。
「……問われた瞬間に、心は決まったんだよ。僕は、カイトと生きていく」
「ボーカロイドは、モノなんだぞ」
言葉は思ったよりも憎々しげなものになった。唇を噛む。ケイはそんなオレを見ながら、涼しげに笑ってみせる。何事もないかのように、普段と変わらない表情で。
「モノかもしれない。だけど、彼らは僕にとって確かに人間だ」
それが、人間の感じ方だって言うのは理解している。
ケイのようにボーカロイドを人間として扱ってくれる存在がいるってことは、幸せだって言うのも理解している。……だけどそれは、オレがボーカロイド技師だからであって、オレ個人の感覚は、違う。
確かに、ボーカロイドは好きだ。奴らが好きだからこそ、この仕事に就いているということもある。
だけど、恋をするか、愛するかと問われれば否、だ。
オレには、あいつらをヒトと見ることは――できない。
「……マスター?」
誘引作業は無事に成功……そしてその帰路につく途中。黙っているオレを不審に思ったのか、小さな声でカイトがオレを呼ぶ。視線をあげてバックミラー越しに言葉を促せば、カイトは青い瞳でじっとオレを見て、そうして少しだけ迷うようにしてから口を開く。
「……マスターは、ケイさんにも、警告したんですよね」
カイトが言う言葉はおそらく、誘引作業について話したときの電話のことだろう。ボーカロイドの耳は確かな音を拾うために人間よりも精巧に作られている。だから、オレとあいつの会話を聞いていてもおかしくはないし、別にだからどうということはない。
頷くだけで肯定を返す。カイトはすっとオレから視線を外し、自分の手元を見つめているようだった。
「マスターは……ボーカロイドに告白されたら、どうするんですか?」
バックミラー越し、俯いてしまった顔を青い髪が隠す。静かな言葉はどこか重く響いて、オレは一瞬言葉を失った。それから、ゆっくりと口を開く。
「……オレは、ケイのようにボーカロイドを人間には見れねぇ」
ボーカロイドはオレにとってはモノ、でしか、ない。遠回しに言えば、伝わったのか、どうなのか。カイトは静かにそうですか、と囁いて。それきり、話さなくなった。
動いていた歯車が軋んだ音を立てて停止したことに、オレはまだ気づくことがなかった。
2009/04/10 Ren Katase