Suicide Syndrome


 【7th Day】

 「……ストレス?」
 思わず素っ頓狂な声を出してしまって、盛大に姉貴に睨まれた。人差し指を唇の前に立てて、静かにしろという合図。素直に口を閉ざせば、姉貴は眼鏡の奥の目をベッドに寝かせてあるカイトに向けたところだった。
 どうにも不安定な様子のカイトが気になり、ちょうど休日だった姉貴に来てもらった。いつの間にやら姉貴もボーカロイドを購入していたらしく、姉貴のボディガードよろしく扉の傍に紫色の長い髪をした男……がくぽが佇んでいる。がくぽ、と呼んだら姉貴にがくと呼べと怒られた。どうやら固体名は『がく』としたらしい。
 「そうとしか考えられないのよ。……アンタ、何かしたの?」
 「何かと言われても」
 姉貴の眉間に皺が寄って、はぁと深々と溜息をつかれた。そう言われたところで思いつかない……と言おうとした瞬間、ふと、ケイのカイトの誘引作業から戻ってくるときのカイトを思い出す。
 ――マスターは、ボーカロイドから告白されたら、どうするんですか?
 あいつの様子がおかしかったのは、あれよりもさらに前からだが。少なくとも、そんな言葉は発したりすることはなかった。……それとも、言いたいけれど言えなかったのか。どちらにしろ、姉貴にはそんなことを言えるはずないんだが。
 「……マスターからの要因がないと、こんなに感情を押し殺すような状態にはならないはずなんだけど……カイトって個体は8割はおとなしい子だから、マスターによっては精神の磨耗も速い方ではあるのよね。でもアンタのとこ来てからそんなに長くないわよねぇ」
 椅子に座った姉貴は、組んだ膝に頬杖をついて怪訝な表情だ。視線をさまよわせるようにしながらもう一度ふぅ、と溜息をついた。ぼそりとその口が『アンタが相手じゃ精神も磨耗するものかしらねぇ』なんて呟いた声は聞こえなかったことにする。そうして、背後のドアの傍に微動だにせずに静かに佇むがくぽを振り返り、ねぇ、と声をかける。それに顔を動かして視線を向けることだけで応えたがくぽ――がくは、瞬くことで促すようにして見せた。
 「がくはどう思う?」
 「……我は起動してさほど立たぬ故、マスター殿の参考にはならぬと思うのだが」
 ボーカロイドボディ特有の端正っつーんだろうか。綺麗な顔から発せられるのはカイトよりもずっと低い声。女性に人気がある個体だっていうのも頷ける気はするが、いかんせん、名前が悪かったんだろうなとか思っていたら顔にでてたのか、姉貴に向こう臑を蹴られた。痛ぇ。
 「んー、自分でどう思ったか、でいいのよ?」
 「……思うべき言葉はあるが、それは我が言葉にすべきことではない」
 姉貴の問いかけにゆっくりと首を緩く振って、がくはそう告げる。目を伏せた表情を前髪が隠して、高く結い上げてある背中を越え膝裏にまで延びる長い紫色の髪が横に振られた首に追随するようにゆったりと揺れた。
 その言葉を聞いてなお、聞こうとしていた様子の姉貴はそう、と一言聞いてまた悩むように眉間に皺を寄せる。若くないんだから皺がとれなくなるぞ、姉貴。
 「とりあえず、ストレスの原因さえ突き止めれば問題はないのよ。アンタがわからない以上、アタシもどうしようもないわね」
 「……そっか」


 +++


 姉貴が帰り、まだカイトが目覚めないしんとした部屋。
 見回せばずいぶんと殺風景だなと思う。……何せ、こいつはオレに対して何かを欲しがったりすることがない。オレも特に口にしていないせいか、一週間に3、4回のアイスがあれば特に問題ないような素振りをして見せている。実際には何をどう考えていたのか。オレには判断することが出来ない。
 眠り続ける姿。閉ざした瞼と、わずかに上下する胸。人間と同じようにされているのに、『ヒト』ではない『モノ』。この中身は、生体部品だ。

 決して、人間じゃない。

 まるで自分に言い聞かせるような考えに思わず自嘲気味の笑みが浮かんだ。……本当は、こいつのストレスの原因なんてわかっている。ボーカロイドとの恋愛に肯定的な姉貴が相手だから、口にできなかっただけだ。
 先回りしたつもりだった。先に言葉を選ばせずに、こちらに来させないようにしているつもりでいた……はずだった。だけどおそらくは、こいつの方が速かった。どこからか、まではオレにはわかりそうにもないが。
 人間でも、人間じゃなくても。……恋愛感情なんて簡単なものだ。触れてもらえば満足する。与えられることばかりを望んで、与えられなきゃ離れていく。
 「……お前も、そうなんだろう?」
 呟きに眠り続けるカイトは応えない。変わらずに静かに寝息を立てているだけだ。手を伸ばして、そっとその額にかかった髪に触れた。そっと払う。
 「……ん」
 眠り続けるカイトの口元がふと、柔らかく笑みを浮かべた。頬を緩めて幸せそうに笑い、額に触れていたオレの指先に擦り寄るような仕草をしてみせる。
 「カイト……?」
 起きているのかと名前を呼べば、うっすらと青い瞳が開いた。オレを見ているかどうか怪しい、硝子のような焦点の合わないままの目でオレを見上げて。
 そうして、口元が微かに動いた。

 「    」

 思わず、息を飲んで手を引いていた。
 カイトはそれに気づくような様子もなく、また瞼を下ろしてすぅ、と静かな寝息を立て始めている。何事もなかったかのように穏やかに眠る様子に、肩まで毛布をきちんとかけてからそのまま一歩距離を取った。そのまま部屋を出て、後ろ手に扉を閉じる。
 ぱたん、と静かな音が響いた。
 扉を背に、そのまま溜息をひとつ。
 「……馬鹿か」
 ぼそりと、悪態が口を吐いた。目元を手で覆って、目を閉じる。力が抜けて、ずるずるとその場にしゃがみ込んだ。瞼の裏に焼き付いたのは、眠るカイトがオレに向けた――普段からだとまったくと言っていいほど見せなくなった、笑顔。
 「何で、あんな……幸せそうに、笑うんだ」
 オレは、お前を突き離そうとしているのに。
 どうして、オレを――好きだなんて、言えるんだ。
 掌を握り締めて、口を吐いて出そうになった言葉を飲み込んでその代わりに深く息を吐く。ぐしゃぐしゃと髪がばらばらになるのも構わずに頭を掻く。どうすればいいかわからなかった。どうしようもなかった。応えられる筈もない、それを多分カイト自体も理解していたんだろう。あいつはオレの傍にいて、おそらくずっとオレを見ていた、つまりそれは、オレが『どういう人間であるか』を理解しているってことだから。
 ボーカロイドは人間と変わらない。学び、考え、理解し、判断する。
 そしてカイトは判断した結果――こうして、ストレスを溜めるようになったんだろう。そんなことを技術的な面から考えてしまう自分は馬鹿だなとふと思って、苦く笑った。
 「……ちくしょう」
 ただ、小さく呟くことしか出来ずに目を閉じた。



2011/04/05 Ren Katase