Suicide Syndrome


 【01】

 メンテナンスセンターには、毎日のように複数のボーカロイドやアンドロイドが運び込まれてくる。彼らが運び込まれてくる理由は様々で、たとえば多少の怪我をしてマスターに連れてこられたり、中にはマスターからの虐待を受けて他の人間に連れてこられるのもいる。
 アンドロイドもボーカロイドも人間として扱われていないが故にメンテナンスセンター以外では治療を受けることがままならず、彼らに対して人間ではなく『モノ』であるという意識を持つ人間も少なくはない。
 そんなボーカロイド及びアンドロイドを治療するメンテナンスセンターには、特定のマスターを持たず、技師たちのサポートとして働くボーカロイドやアンドロイドたちがいる。彼らは他と区別するため『名』を与えられ、『ヒト』として扱われている。
 これは、メンテナンスセンターで働くあるボーカロイドの話。


 「おい、アオ、あーお」
 白い廊下、白い天井に白い壁。病院のようなセンターの廊下を歩いていた青い髪の青年は己を呼ぶ声に足を止めて振り返る。己の視界にその姿を認めれば、青い瞳を柔らかく細めてゆっくりと頭を下げた。
 「はい、笹谷さん。ぼくに何か」
 手の中のカルテをまとめ、アオと呼ばれた彼は自分を呼んだ青年を僅かに見上げた。白衣をまとった青年はあぁとひとつ頷いて、アオに一枚のカルテを差し出す。
 差し出されたそれを素直に受け取りアオは上から下まで視線を通す。それから問うように笹谷に対し視線を向けた。
 「新しく担当してもらうことになりそうだ」
 カルテにはアオとそっくりの姿をしたひとりのボーカロイドの写真。そうして、アオにはその姿に見覚えがあった。
 「……この、『カイト』は……」
 「知ってるのか?」
 笹谷に問われ、アオは顔を上げて頷く。アオのメモリーに残るのは、メンテナンスの時に出会った記憶だ。深い藍色の髪と、同じ色の瞳。彼のマスターに対して穏やかに笑む様子を自分とずいぶん対照的な『カイト』がいたものだと思ったものだ。
 種別名:VOCALOID-01-02/KAITO。個体名:『彩』(サイ)。そう記名されたカルテに視線を落とし、ある事項に目が止まってアオは無意識に悲痛そうに眉間に皺を寄せる。
 ――事故により、主人と死別。喉頭に故障部分が見られ、会話がやや困難……。
 「……これ」
 「あぁ。今は精神状態は落ち着いて良好だそうだ。……三日ぐらい経ってるしな」
 笹谷は少しだけ悩むように視線をさまよわせ、それからアオを見てひとつだけ頷いた。三日?と笹谷の言葉にアオは首を傾げる。こういう、『不慮の事故でマスターを失ったボーカロイド』には、必ず一月か二月ほどの間、メンテナンスセンターに所属するボーカロイドがカウンセリングのように傍にいることになっている。
 それがなされていないかと不思議そうにするアオに、あぁとひとつ頷いて笹谷はアオの頭をよしよしと撫でながら苦いような笑みを浮かべて見せた。
 「……そいつな、誰に対しても全く反応しなくてな。笑いもしねぇし反応もしねぇ。最初はスイが、次はカナリアがいったんだがダメでな。コーラルと姉貴……吉住とで同型機のお前なら、ってことになったんだ」
 スイというのはミク、カナリアというのがリンの。そしてコーラルと言うのがルカのこのセンターでの固有名詞。なるほどと事情を理解した様子のアオが頷いて、そのままわかりましたと言葉を返した。
 「それじゃ、会ってみてくれ。……頼むな、アオ」
 軽く手を振り、彼はそのまま廊下を引き返していく。渡されたカルテに視線を落としたアオはひとつ溜息のように息をついて、自分の先にある病室群を眺めた。この先はアオも担当しているボーカロイドが数人いる。それの中にひとり加わっただけ、という話だ。
 アンドロイドはボーカロイドほど感情が育っていないためにカウンセリングなどは人間でもできる。感情が育つボーカロイドたちは、人間のカウンセリングを受け付けないこともある。ただ、センターに所属しているボーカロイドはそれぞれの種類がひとりずつのため、ひとりで複数人引き受けることもある。
 (……とりあえず、会ってみようか)
 小さく、溜息をひとつ。同型機なら確かに心を開いてくれるかもしれないが、それと同時に同型機だからこそ頑なになる存在もいる。アオが今まで出会ったボーカロイドにはそういうのはいなかったが、他のボーカロイドではよくある話と聞いた覚えがある。
 ひとつの扉の前で立ち止まり、ひとつ深呼吸。一度腕につけた腕章と襟元を直してから、ゆっくりと扉をノックした。
 「……失礼します」
 スライド式の病室の扉を開く。真白い病室の中には最初に備え付けられたものしか家具はなく、それ以外のものがひとつもない部屋。ただ、その白い部屋の中、ひとつだけ、深く彩られた青があった。ベッドに上体を起こして座り、窓の外を眺める後ろ姿。見覚えのある、青。
 アオの声が聞こえたのか、その後ろ姿がぴくりと震えて、ゆっくりと首が廻った。ひとつ青の瞳が瞬いて、唇が開き――閉ざされる。どこかその諦めた表情に、アオは一瞬視線を下げ、それから首を緩く振って微笑んだ。
 「こんにちは。彩くん、ですね。……ぼく、担当になりましたアオと申します」
 深い青の瞳がアオを見つめ、またひとつ瞬く。喋れないというカルテの言葉通り、彼は声を発しないままただ真っ直ぐにアオを見つめていた。その彩の瞳を見つめ返してから、アオはひとつ、ふたつ傍へと歩み寄る。特に警戒するような様子も見えないところにどこかほっとしたような表情が見えたのか、彩はすっと視線を下げたようだった。
 「……少し、お話ししてもいいかな」
 笑顔を絶やさないままにアオが問えば、彩はじっとアオを見つめて、それから少し悩んだようにひとつ、頷いた。にこりと笑ってからアオは傍の椅子を引いて座る。窓から差し込む陽の光で、彩の藍色の髪がきらりと光りを弾いた。それに眩しげに目を細めながら、アオはじっと彩を見つめる。
 (……何だろう)
 ふわりと、胸の奥があたたかくなる感覚にアオはゆっくりと目を瞬き、お互いに見つめ合うようにしていたのはどれぐらいの時間だったのか。アオから彩の視線が逸らされて、彩の指先がそっとアオの袖をくっと引いた。それに我に返ったアオがきょとんと眼を瞬いて、あ、と声を上げる。
 「ご、ごめんなさい」
 あはは、と照れたようにアオが笑えば、じっと見詰めていた彩がほんの少しだけ、口元に笑みを浮かべて。それを見たアオが見惚れたように見つめることまた数秒。ぷるぷると首を振ってへにゃりと気の抜けた笑みを浮かべれば、彩が視線を少しだけ下げた。
 それから、話をしたのはどれぐらいだったのか。できるだけ、マスターのことを避けてアオは彩から話を引き出していく。声を出せない代わりに、彩は筆談で応えていただけだけれども。必要なことをメモして、アオは時間を見て椅子を引いた。かたん、と音が響く。
 「すみません、それじゃあ、ぼくはこれで。また明日きますね」
 ぺこりとアオが頭を下げれば、彩も同じように緩く頭を下げた。最初に顔を合わせたよりアオの視線から見て柔らかくなった表情は、少しだけ微笑んでいるようにも見えた。そのまま背中を向けて病室を出る。ぱたん、と小さな音とともに扉が閉まれば、アオは深く深く息を吐いた。あるはずのない心臓が、とくとくと音を立てているような気がして胸元にそっと手を触れさせる。ふぅ、と吐息を落としながらふるりと首を振った。変な感覚を覚えながら、視線を宙に彷徨わせた。
 「……彩くん、か」
 ぽつりと呟いてから一度首を振って、アオはそのまま仕事に戻るべく歩きだした。


2010/01/12 Ren Katase