Suicide Syndrome


 【12】

 暗がりが支配し始めた部屋、横になってアオを見上げる彩と、それを見下ろしたアオ。眠たげな様子で繋がれた掌に頬を寄せた彩はぼんやりと緩く瞬きながら縋るように繋いでいだ掌を無意識に少しだけ緩めた。
 「……彩くん、……もう大丈夫?」
 アオが小さく声をかければ彩はアオに視線を向けて、目を覚ましたように視線を上げれば少しだけ申し訳なさそうな表情をしてから頷いて見せる。ほっとしたように微笑んだアオがそっと繋いだ掌をほどけば、泣きはらした赤くなった瞳で泣き疲れた様子の彩は眠たげにしながらアオ、と小さく名前を呼んだ。
 何、と問いかけるように首を傾げたアオは彩を見下ろしたまま言葉にはしないまま目線だけを向ける。視線を合わせた彩は少しだけ考えるように視線を彷徨わせて、一度口を開き、また閉ざしてから身体を起こそうとする。
 「起きなくていい、そのままでいいよ。……久しぶりに泣いて、疲れたろ」
 「……ありがとう」
 ぼそりと囁くように告げる掠れた低い声にアオは気にしないでというように笑う。ふるふると緩く首を振りながら指先だけでそっと彩の髪に触れてそのまま手を離した。その礼の言葉の意味は考えるまでもない。
 彩の声はまだ聞きなれないものの、こんな声だったのかとアオは少しだけ嬉しそうに笑みを見せる。自分と同じ声質だけれども、自分よりも少し低めの、優しく響く穏やかな声。この声で歌を歌ったら、すご綺麗なんだろうなとアオは思って笑みを見せる。
 「ぼくの言葉で、君が生きるのを決めてくれたのならそれだけで嬉しいよ」
 「……そうか」
 アオの明るく響く声にほっとしたような様子で彩は答え、ふとしばらく悩むように視線を彷徨わせる。それから一度アオを見上げ、小さな、不安そうな声で囁くように問いかける。
 「……おれは、どうなるんだ?」
 アオはその言葉に目を瞬いてから不安げな視線に目を瞬きながら、彩を安心させようとするように肩をぽんぽんと軽く叩いて見せた。彩の視線が少しだけあがって、いつも見ていた表情よりも柔らかくなった視線がアオを見ていた。
 「明日にでも、主任から説明があると思うんだ。……心配ないよ、悪いようにはしないから」


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 次の日のこと。
 「こんにちは、彩。……調子はどうかしら」
 ベッドに腰掛けたままの彩の前に、アオを背後に従えて現れたどこか知的なイメージを持たせる女性は、にこりと笑みを浮かべて彩に問いかけた。彩はアオと女性とを見比べて不思議そうにした後、女性に顔を戻して素直に頭を下げる。
 「……おかげさまで」
 「それで……今どういう状況なのか理解してるわよね」
 彩の前で椅子に座り、自分の指を組んで言う女性の言葉はそれは問いかけというよりは確認のような口ぶりで、彩は素直に頷いて肯定の意を示す。その彩の頷く仕草によかったと言うように彼女は微笑んで見せて。
 センターは基本的にマスターの存在しないボーカロイドが収容され、彩のように精神的にもボディとしても問題がなくなったボーカロイドの場合、破棄か新しいマスターにつくかをを選ぶことになる。もちろん、彩もそれを認識しているし、自分がそれを選択しなければならないのも理解している。
 「基本的には新しいマスターができるまで、センターにおいてあげるのが幸せなんだけど――君は、どうしたい?」
 「……どう、とは」
 言葉の真意が読めず、怪訝そうに問いかけを返す彩に彼女は頷く。あのね、と前置きを置いてからゆっくりと確かめるような口調で口を開いた。
 「メモリをいじって、新しくやりなおすか。……それとも、私たちに協力するか」
 耳慣れない言葉に彩は首を傾げる。そんな彩に彼女は頷いて言葉を続ける。
 「今、私たちはひとつの研究をしているの。それは、ボーカロイドだけで生活できるのか、ってこと」
 「ボーカロイドだけで……?」
 そもそもボーカロイドはマスター及び人間と共に暮らすために造られている存在だ。マスターがいないボーカロイドは保護する対象であり、そうして保護されたボーカロイドはセンターに収容されることになる。
 つまり、ボーカロイドだけで生活する、ということがそもそも不可能、ということだ。
 「もしもそれができれば、君みたいに新しいマスターを望まないまま、破棄も望まない子を救うことができるのよ」
 破棄を望まないという言葉に彩は無意識に女性の背後に立つアオに視線を向ける。アオはその視線を受けてぱちりと目を瞬き、それからふうわりと柔らかく彩に笑顔を向けた。まるでそれは大丈夫と言っているようにも見えて彩は内心ほっとする。
 「……それは、どうすればいいんですか」
 「どうすると言っても、普通に生活してくれればいいの。必要なメンテナンスはこっちで手配するし、その時に軽いデータを取らせてもらうだけ。必要なら誰かと一緒に暮らしてくれればいいし」
 どうだろう、というように女性は首を傾げる。新しいマスターの元に行くのならメモリは初期化されることの方が多い。よほどのこと――例えば家族に引き取られるなどの場合は削除しないこともあるが、基本は初期化になっている。
 彩は女性から視線をそらし、指を組んだ自分の掌をじっと見つめる。じっと見つめたまま少し考えるように視線を彷徨わせ、それから思いついたように視線を上げた。
 「……それなら、ひとつだけ、お願いがあります」


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 センターから歩いて一時間弱。高台にあるセンターよりさらに小高い丘に位置する、小さな集落のようないくつかの家。そのさらに端に位置する一軒家の前に立った彩はじっと物珍しげに家を見つめる。
 「……で、一緒に暮らすのはぼくでよかったの?」
 ぼんやりと視線を向ける彩の後ろからかかる声。背中と両腕にふたり分の荷物を持ったアオが問いかけて、彩はそのアオを肩越しに振り返る。ほんの少しだけ悪戯ぽく口元に笑みを浮かべて見せて、アオがおろした荷物を受け取って手に持つ。
 「……おれは、お前の担当なんだろう?」
 「それはそうなんだけど」
 首を緩く傾げるアオにさらりと言えば手荷物をおろしたままアオが扉の鍵を開いてドアを開く。先に彩に行くように促せば先に入った彩に続いてアオが玄関に足を踏み入れ、そのまま背中で扉を閉めた。さっさと靴を脱いで玄関から廊下に立っている彩を見上げ、アオは少しだけ気の弱い表情で笑ってみせる。
 「彩くんって意外と行動派だったんだね……ぼく、びっくりだ」
 言葉を取り戻した彩は、アオが思う以上に喋り、行動するようで。今までに見ることのなかった彩の姿に驚きつつも嬉しいような感覚にアオは笑みを深める。そのアオを見つめ、少し考えるように視線を彷徨わせてから彩は小さく口を開いた。
 「アオ」
 「ん?」
 彩の呼びかけにアオが不思議そうに眼を瞬けば、彩はアオがおろしていた荷物も持って廊下の奥へ行こうと背中を向けているところだった。
 「……一緒に暮らすのだから、くん付けは居心地が悪い」
 「……了解、彩」

 そうして、ふたりのボーカロイドの生活が始まる。


2010/07/09 Ren Katase